(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
恭仁京
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開始年 | お住まいになった天皇 | 都の名前 | 都の期間 | 補足説明 |
和銅3年(710) | 元明・元正・聖武 | 平城京 | 31年 | 橿原の「藤原京」から遷都。聖武天皇は天平12年(740)2月「知識寺」(現柏原市)で廬舎那仏を初めて拝す |
天平13年(741) | 聖武 | 山背恭仁京 | 3年 | 「天平12年(740)12月15日」に移住、廬舎那仏造立のため頻繁に「紫香楽宮」に通う(遷都ではない) |
天平16年(744) | 難波宮 | 1年 | 白雉2年(651)孝徳天皇の「難波長柄豊碕宮」、683年天武天皇の「難波宮・京」(朱鳥元年(686)焼失)を再興 | |
天平17年(745) | 聖武・孝謙・淳仁・称徳・光仁・桓武 | 平城京 | 39年 | 今に残る廬舎那仏は天平19年(747)9月29日鋳造開始、天平勝宝4年(752)4月9日開眼供養 |
延暦3年(784) | 桓武 | 長岡京 | 10年 | この後、延暦13年(794)に平安京に遷都した |
「都」の大きさは「不正確」(位置の図示を目的とした) 当時の「川、池、海」の感じがよくわかる 「星のまち交野に掲載の図」を改変した |
「京都府埋蔵文化財調査研究センター」の「足利健亮」の恭仁京復元案をカシミール地図上にマップしたもの 「木津川(泉河)」を重視していることがよくわかる 造営は、天平12年(740)12月15日〜 造営卿の任命は天平13年(741)9月8日 (この頃「条坊地割」が行われた模様) 天平15年(743)12月26日が最後の工事 (参考)△7は浄瑠璃寺(永承2年(1047)建立) |
△2「泉橋寺」 | △6「橘諸兄の別業」(と思われるところ) | 三上山(△5の北方) |
現在の寺は元禄年間(1688-)に再建されたもので、泉大橋のたもとにある(場所は往時のままか) | 「南馬場遺蹟」、今は宅地開発に呑み込まれ、跡すら見えない | 恭仁京址から見上げる三上山(中腹に「観音寺」があった) |
恭仁宮の復元案 | 大極殿址の碑 | (移転された)「大極殿」復元図 |
「足利健亮」の復元案 ∴=大極殿址、赤丸=国分寺跡 | 「恭仁小学校」(写真:左)のすぐ北側に建っている | 「京都府埋蔵文化財調査研究センター」の資料から |