24.菅家

菅原道真 上の句順 下の句順 (INDEX)


このたひは  ぬさもとりあへす  たむけやま  もみちのにしき  かみのまにまに
此たびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき かみのまにまに
此たびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

■類似語句  なし

■歌について
898年、宇多天皇の吉野宮滝への御幸に伴ったときに歌った。道祖神に紅葉の美しさを捧げたもの。有名な歌は「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」。
(最近の研究では)「手向山」は奈良市にある手向山八幡宮ではなく「京都から奈良へ向かうときに越す峠」のこと(になっている)
■出典
古今集羈旅
■作者略歴
845-903。藤原氏の独占を抑えるために、宇多天皇が登用した。遣唐使を廃止するなどして右大臣になったが、左大臣藤原時平の中傷で、太宰権帥に左遷され、そのまま没した。その怨霊が雷となって、都を騒がせた。これを鎮めるために、雷神天神を祭る北野天満宮が創られた。文章博士であったことから、学問の神としても祭られている。
【補】
菅原道真は菅原院で生まれ、紅梅殿に住んだ。紅梅殿については枕草子で「立派な邸宅」と紹介されている。
菅原道真は勘解由長官も務めた。
怨霊騒動の経緯・顛末はこちらにまとめた。
菅原道真を祀る北野天満宮の創建経緯はこちらにまとめた。
京都に残る「天満宮」については(わかる範囲で)こちらにまとめた。
菅原道真の「辞世の和歌」についてはいろいろ誤解がある。