京都の街角写真

天神通           (INDEX:索引へ)


平安京の「西靱負(ゆげい)小路」にあたる。「東靱負」は無く、名前の由来もよくわからない。
現在の天神通は、北は「今出川通」(北野天満宮)から「六角通」までと思われる。

通り沿いに「北野天満宮」、「安楽寺天満宮」、「文子天満宮舊址」などがあることから、こう名付けられたのだろう。
西の方の「天神川通」(国道162号線の一部、通称「葛野中通」)と混同されやすい。
丸太町通以北は「南から北」、以南は「北から南」への一方通行になっている。市バスは走っていない。

【森谷】記載なし。

  直接飛ぶのなら 妙心寺道
西側南北位置東側
北端「北野天満宮 clickすれば大きな画像 今出川通」に出たところに、「北野天満宮」の「一の鳥居」(写真)がある。

(撮影:2021/7/13)
アヤシイモノ専門店「八幡屋」

大将軍商店街」の一角にあたる。妖怪通りの飾りに使えそうな相当“怪しい”ものを並べている。

(一条上ル)

(撮影:2017/4/21)
clickすれば大きな画像 今出川下ル

妙心寺道上ル



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clickすれば大きな画像 「高津古文化会館」

昭和50年(1975)開設。時代劇映画撮影のための小道具収集に始まり、それらを文化財として展示するようになった。

(今出川下ル)

(撮影:2021/7/13)
「奥渓家住宅」(おくたに)

仁和寺門跡の御典医「奥渓家」住宅。長屋門(享保11年(1726)再建)・主屋ともに市有形文化財に登録されている。

(仁和寺街道下ル)

<平安>隼人司

(撮影:2019/11/12)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「百鬼夜行資料館」

大将軍商店街」の一角にあたる。「妖怪ビルヂング」の中にある。

(一条下ル)

<平安>筑紫町

(撮影:2021/7/13)
安楽寺天満宮/一ノ保天満宮」>

なかなか「天満宮」は難しい
すぐ南には「西之京瑞饋神輿保存会」の建物もある。

(仁和寺街道下ル)

<平安>隼人司

(撮影:2019/11/12)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「法華寺」参道

法華寺は「御前通」にあるが、「天神通」にも参道を開けている。

(仁和寺街道上ル)

<平安>左近衛監公忠領

(撮影:2021/7/13)
文子天満宮舊址

延喜5年(905)(多分)〜明治6年(1873)(の間)「文子天満宮」があったところ(と考えられている)

(妙心寺道上ル)

<平安>采女町

(撮影:2019/11/12)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「大村工業」

大正2年(1913)創業の「内装仕上工事・家具製作」の会社。住所は「御前通」とあるが、「天神通」に面している。

(妙心寺道上ル)

<平安>右兵衛町

(撮影:2021/7/13)
西側南北位置東側
「玉房稲荷大明神」

大宰府から帰京した人々が祀った七保(道真の御供所)の内の「五ノ保社」

(妙心寺道下ル)

(撮影:2021/7/13)
clickすれば大きな画像 妙心寺道下ル

六角上ル



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clickすれば大きな画像 「京和幼稚園」

この幼稚園の前に七保(道真の御供所)の内の「六ノ保社」の跡が残っている。

(下立売下ル)

<平安>井殿

(撮影:2021/7/13)
「華開院」(通称:五辻御所

光岸法達親王の開基。応仁の乱で焼失し寛文8年(1668)この地に移った。石標に「勅願所華開院(けかいいん)」とある。

(丸太町上ル)

<平安>左衛門町

(撮影:2016/4/27)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「月餅家」(西ノ京店)

「本家 月餅家直正」(木屋町三条上ル)の分家だったが、2021年訪問時は「看板を降ろして」いた。

(丸太町上ル)

<平安>左馬町

(撮影:2016/4/27)
「朱雀第四小学校」

由緒ありそうだが、昭和4年(1929)開校。

(新二条下ル)

(撮影:2021/7/13)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 「安養山極楽寺」

この辺りには目立つものはない。この寺もよくわからない。

(御池上ル)

(撮影:2021/7/13)
「丸池建材」

建築材料の会社。「セキスイかわら」の看板が出ている。

(三条上ル)

(撮影:2021/7/13)
clickすれば大きな画像 clickすれば大きな画像 京都外大西高校弓道場」

看板には「三条クラブハウス」とある。中には「弓道」の練習姿が見える。

(三条上ル)

(撮影:2021/7/13)