(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
斎院
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群行の行程 | 伊勢斎宮の位置(from 三重県HP) | ||||
日程 | 頓宮(泊まるところ) | (推定される)現在の地名 | 御禊 | (推定される)ルート | |
1 | 勢多(近江国府) | 石山 | 勢多川 | 内裏→逢坂の関→京外 | |
2 | 甲賀 | 水口 | (現)野洲川 | 石山→草津→(野洲川に沿って)→水口 | |
3 | 垂水 | 甲賀市土山町 | 横田川か | 水口→土山(は短いが鈴鹿越えの準備) | |
4 | 鈴鹿 | (亀山市関町)片山神社 | 鈴鹿川 | 土山→難所の鈴鹿峠→関町 | |
5 | 壱志 | 松阪市宮古 | 下樋小川(不明) | 関町→(伊勢別街道)→宮古 | |
6 | (伊勢斎宮に到着) | 多気郡明和町 | (現)祓川 | 伊勢神宮とは20km離れている |
在原業平の絵札 | (現在の)野宮神社 | 藤原道雅の絵札 |
伊勢物語(著者不詳)は業平を「むかし、男ありける」の男に擬している | 源氏物語「賢木」に出てくる黒木の鳥居が今も建っている(勿論当時のものではない) | 「当子内親王に一目逢いたい」と詠った歌が「百人一首」に採られた |
斎宮神社(平安京外、有栖川の畔) | 西院野々宮神社(右京五条四坊二町) | 斎宮宅跡(右京三条二坊十六町) |
「野宮の旧跡」と伝えられる。嵯峨野の野宮(上の写真)に至るまで転々としたか | 延暦16年(797)布勢内親王、承平2年(932)雅子内親王が野宮にした、と伝わる。現在は春日神社の御旅所になっている | 卜定されてから初斎院に移るまでの期間に居住した邸宅らしい。ただしできたのは昌泰3年(900)以降らしい。現在の「西京高」あたり |
初代斎院「有智子内親王」の陵墓 | 賀茂斎院の位置 | 式子内親王の絵札 |
退下後は嵯峨西荘に閑居したことから、墓は嵯峨野の荘址「緋の社」(「落柿舎」の隣)にある | 赤長方形=平安京、「院」=賀茂斎院、「下」=下鴨神社 | 「百人一首」に唯一選ばれた「斎王」 |