椿ヶ峰
(INDEX)
独断評価 | 発見難易度 | 登頂体力度 | 頂上眺望度 | 山行愉悦度 | 総合評価 |
5点満点 | ★★★ | ★★★ | ★ | ★★★ | 2.6 |
- 山頂の特定(地図)
- 「椿ヶ峰山天神神蹟」の石灯籠が立っているところが椿ヶ峰山頂(種本による)。
- 杉木立の中でこの石碑がなければ山頂とは見えない。山頂にピーク性はなく、南および東方向にはすぐ高い山が控えている。
- 地形図から標高132mとしたが、正確なところはわからない。手持ちのGPSでは136mであった。
- 登頂記録
- H15-3-8初登頂。
- 「登山ルート」どおり登った。「お玉の橋」を渡ったら東北東方向へ登っていく(東南東方向にしっかりした道がついているがこれは南禅寺山方向へ行ってしまう)。山道になっていず地盤が緩く勾配は急で難航する。
- 山頂には南北に山道が走っている。
- この山道を北へ下ると、ノートルダム女学院(中高校)テニスコート裏へ降りられる。入り口はわかりにくいが、山道がついているので椿ヶ峰への登山にはこのルートが一番わかりやすい。
- この山道を南へ上ると、光雲寺・南禅寺の敷地の縁を廻って、南禅寺から東山トレイル(稜線)への道の中間点に出る。この点から東山トレイルへ登ることもできるし、南禅寺または若王子山へ下りることもできる。
- 椿ヶ峰
- 一言で言えば大豊神社の背後にある木に覆われた小さな山。
- 哲学の道から東を見て高い樹木が鶏冠のように林立して見えるのが椿ヶ峰。
- 名前のとおり椿の多い山。
- 「光雲寺」の裏に見えることから「光雲寺山」と呼ばれることもある。
- 「鹿ケ谷徳善谷町」にある。
- 大豊神社
- 仁和3年(887)宇多天皇の病気平癒を願い医薬の祖神少彦名命(すくなひこのみこと)を山頂に祭って創建された社。
- 寛仁年間(1017-1021)現在の山麓に移った折りに大豊大明神の神号を賜ったと伝えられている。
- 度々の火災で現在は本殿、拝殿、末社を残すのみだが、地元の氏神になっている。現在の宮司の世話で参道の両側には多種の山野草が植えられている。
- 大豊神社の末社を鎮(まも)る狛犬ならぬ「狛鼠、狛猿、狛鳶、狛狐」なども知られている。
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「本殿」前の鳥居の脇には普通に「狛犬」がいる |
大豊神社境内の「椿ヶ峰の御神水」 |
大国社の「狛鼠」 |
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「本殿」両脇の「狛巳」、左右で形が大きく異なる |
日吉社の「狛猿」 |
愛宕社の「狛鳶」 |
- 近くの見もの
- ゲンジボタル
- 若王子橋から銀閣寺橋の間の「哲学の道」は、ゲンジボタルの生息地(天然記念物として登録されている)。
- 6月中旬の夜の散歩はロマンティックです。
- 近くの仏閣神社
- 光雲寺
- 南禅寺の開山、大明国師(だいみょう)無関普門が、南禅寺の境外塔頭として難波に建立(13世紀末頃)。江戸時代に入って、明暦3年(1657)南禅寺第100代住持英中玄賢によって再興され、寛文4年(1664)東福門院の支援を得て現在の地に移った。臨済宗、霊芝山(れいしざん)。
- 庭園は名園の誉れで知られていた。現在の庭園は、昭和2年(1927)7代目小川治兵衛が大幅に手を入れたもの。
- 非公開寺院で外から本堂の姿を見るだけだったが、最近は特別公開期(例:H17年5月)に公開されるようになった。
- 拝観でなく坐禅をするのなら、毎月第2土曜日(坐禅会)に入山できる。
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鹿ヶ谷通に建つ「光雲寺石標」 |
光雲寺本堂(背後は当然「椿ヶ峰」) |
「顕子内親王の墓」(光雲寺に隣接) |
- 雍州府志での記述
- 椿が峯
- 如意が嶽の南に在る。古え、園城寺益信、庵をこの峯に構える。
- 「花洛名勝図会」(1862年)には「円城寺旧趾の山上を椿が峯と号す。大豊明神社の辺方四町、今田地となれり」とある。
- 京都市遺跡地図台帳には「円成寺跡は鹿ケ谷不動山町・桜谷町・宮ノ前町・徳善谷町にある。藤原淑子(宇多帝の養母、正一位尚侍)の発願による寺で、仁和5年(889)定額寺(準官寺)となる」と記載されている。
- 「園城寺」とあるのは、上述の如く「円成寺」のことと考えてよい。
- 東山国有林風致計画での記述
- 椿ヶ峯
- 如意ヶ嶽の南。古え、園城寺益信、この峯に居した。
- 今日の若王子山と思われる(注:「椿ヶ峯=若王子山」の比定はおかしい、若王子山を参照)。
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光雲寺庭園から見る椿ヶ峰 |
疏水に架かる「お玉の橋」(ここから入る) |
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椿ヶ峰山頂(椿ヶ峰山天神神蹟) |
山頂から北へ下る道 |