(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

宇多天皇の日記           (INDEX:索引へ)


「宇多天皇(867-931)の日記」があるらしい。それは「寛平御記(かんぴょうぎょき)」と呼ばれている。

どのようにして伝えられたのか、なにが書いてあるのか、などを調べてまとめた。

    自筆の日記は現存しない    宇多天皇について    何が書いてあるのか
「三代御記逸文集成」杉本苑子「山河寂寥」後田邑陵(父・光孝天皇陵)
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漢文で書かれているので、読み難い宇多天皇(と藤原淑子)のことを気軽に読める本現在の「宇多野馬場町」にある。古くは「田邑(たむら)」と呼ばれていた
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clickすれば大きな画像宇多天皇に関する「家系図」

58代以降、皇統は光孝に移ったことがわかる

名前の前の数字は代数

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藤原淑子の「東山白河第」と思われる地仁和寺(出家の地)大内山陵(宇多天皇陵)
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写真は光雲寺の庭園(南禅寺北ノ坊町(宮ノ前町の隣))。こんな庭で遊んだか59宇多は譲位して2年後、昌泰2年(899)仁和寺で出家して「宇多法皇」になった「御室」から「鳴滝」を目指して山道を1kmくらい歩くと到着する。この山は「大内山」とも
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