(京都の寺社−今昔−写真比較)
等持院
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正式名称・宗派
:萬年山等持院/臨済宗天龍寺派
開基
:暦応2年(1339)
足利尊氏
は現在の京都市中京区高倉通御池上ルに夢想国師を開山として
等持寺
を建立し、続いて暦応4年(1341)現在の京都市北区等持院北町に別院北等持寺を建立した。延文3年(1358)尊氏が没すると別院北等持寺に葬られ「等持院」と改称された。応仁の乱で本寺が焼失したため別院の等持院が本寺になった。
足利家の廟所となっており、霊光殿には十三代の木像がまつられている。
住所(昭和40年代の表記)
:北区等持院北町
交通の便:京福電鉄北野線「等持院」下車(徒歩10分)
特記
:
衣笠山
を背景にしている。
芙蓉池(心字池)
を始めとする池を中心に庭が構成されている。
「
雁の寺
」の水上勉は小坊主としてこの寺に寄宿していたこともある。
関連する東山三十六峰
:なし
公式サイト
:なし
建物
昭和40年代
現在
(撮影年月日)
1974−2−2
2007−9−16
開創時の雰囲気を残している
「
芙蓉池(心字池)
」
背景の白い建物は「霊光殿」
比較(コメント)
心字池に映る大きな松
拝観料100円
松は朽ち果てて切られたか
根元の部分だけ残っている
◆◆◆ 昔と「同じ角度」の写真はないのですが、「現在の写真」もいくつか掲載しておきます。 ◆◆◆・・・
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すぐ隣は立命館大学
背景は「
衣笠山
」(2007−9−16、右も)
松が残っていればこんな風に見えたはずです
同じ「池庭」の違う松の写真
紅葉の「
芙蓉池(心字池)
」
(2019−11−13)