(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
大将軍
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京都では「大将軍」という言葉がよく聞かれる。
「大将軍八神社」が有名だが、どれが正統な神社なのか、読み方は「たいしょうぐん」でよいのか、不思議が多い。
- 京都で「大将軍」と言えば
- 西大路一条近辺の「冠」(名)
- 同じ同地区にある「小学校」(名)
- これらはすべて「大将軍八神社」(後述)に由来する。
- この他に
- 「焼肉」を始めサウナ、カラオケなどを展開する「チェーン会社」
- 坂上田村麻呂の像を埋めたと謂われている「将軍塚」
- などが思い出される。
- 「大将軍神社」とはなにか
- 「大将軍」とは「方位を司る星神」すなわち「方位の守護神」である。
- 桓武天皇が平安遷都したときに(延暦13年(794))都の四方に将軍社を置き、そこに守護神を祭り、王城の鎮護とした。これが「大将軍社」の始めである。
- 『和漢三才図会』には「四ヶ所置いた」とある(現在の位置で表現すると)。
- 東:岡崎(左京区)
- 西:紙屋川(上京区)
- 北:紫野大徳寺の門前(北区)
- 南:〔今は所在が分からない〕
- 現在ではどうなっているか。以下の説が有力。
- 東:岡崎===>
- 「岡崎神社(通称、東天王社)」(@)も「東方王城鎮護の神社」と謳っている。
- いつの頃か、大将軍社は「大将軍神社(別称、東三條社)」(A)に移された(らしい)。
- どちらが後継なのか。
- 西:紙屋川==>「大将軍八神社」(一条通御前)(B)
- 北:紫野===>「紫野大将軍社」(今宮神社内)(C)
- 「西賀茂大将軍神社」(西賀茂角社町)(D)も「北方王城鎮護の神社」と謳っている。推古天皇17年の創立とあり、桓武天皇創立との関係がわかりにくい。
- どちらが後継なのか。
- 南:不明===>「大将軍社」(藤森神社内)(E)
- 王城の鎮護としては遠すぎるが、何回も移転が続いて、この地まで来た(らしい)。
- かくのごとくで、現在ではそれらしき神社が「6つ」もあり複雑怪奇(写真で整理しました)である。
- 大将軍八神社の由来
- (上述のとおり)延暦13年(794))勧請された。(同神社の由来書によれば)初めは「大将軍堂」と称された(とのこと)。
- 応仁の乱後、神社として復興され「大将軍宮」、「大将軍社」と改められた。
- 江戸時代中期に吉田神道の影響を受け、素盞嗚尊およびその御子八神と暦神の八神を習合して「大将軍八神宮」とされた。
- それまでは「大将軍のみ」を祭る神社であったのが、この頃から「八将軍」(大将軍はその中の一人)を祭るようになった。
- 「大将軍」は格下げされた格好になる。
- 明治以降「大将軍八神社」と称するようになった。
- 大将軍の不思議
- 素盞嗚尊の子供が素盞嗚尊(ということになってしまう)
- 大将軍は「素盞嗚尊」の別名とも言われており、(参考)にあるとおり素盞嗚尊の子の一人が大将軍である。
- 読み方
- 神は「だいしょうぐん」。
- 神社名、地区の呼び方(冠名)は「たいしょうぐん」。
- 八神社
- 大文字山の登り口(銀閣寺の脇)に八神社がある。「八所大明神」を祀った旧浄土寺村の鎮守社といわれているので、八将軍とは無関係らしい。
- (参考)八将軍
- 八将神、八柱御子神とも言われる。
- 素盞嗚尊(牛頭天王)と櫛稲田姫命(頗梨采女)との問に生まれた八人の皇子。
- 各将軍の支配する方位は、その年々の十二支によって変化する。
将軍 | 方位星 | 補足説明 |
− | 読み | 相当する惑星 | 暦での星 |
大歳神 | だいさいじん | 木星 | 歳星 | 万物の生成を司る吉神 |
大将軍 | だいしょうぐん | 金星 | 太白星 | 万物を殺伐する凶神 紛らわしいが「素盞嗚尊」の別名でもある |
大陰神 | だいおんじん | 土星 | 鎮星 | 陰事を司る凶神、大歳神の妃 |
歳刑神 | さいぎょうしん | 水星 | 辰星 | 殺罰を司る凶神 |
歳破神 | さいはしん | 土星 | − | 大歳神に衝破される凶神 |
歳殺神 | さいさつしん | 金星 | − | 殺気を司り万物を滅する凶神 |
黄幡神 | おおばんしん | − | 羅ごう星(架空の星) | 土を司る凶神 |
豹尾神 | ひょうびしん | 彗星 | 計都星(架空の星) | 不浄を嫌う凶神 |