粟田山
(INDEX)
独断評価 | 発見難易度 | 登頂体力度 | 頂上眺望度 | 山行愉悦度 | 総合評価 |
5点満点 | ★★★ | ★★★ | ★★★ | ★★★ | 3.0 |
- 山頂の特定(地図)
- 『粟田神社』から将軍塚に至るルートにはいくつもの一寸したピークが出てくる。二本松の先の一本松のあたり、標高180mくらいの北側のよく見えるピークを粟田山頂と考えるのがよさそう。
- この地点は少し開けていて山頂ははっきりしない。標識もない。
- 歩いてみると「華頂山北稜にある小さなピーク」となるが、市街からは「ぽっかり浮んだ小山」に見える。
- 登頂記録
- H06-12-10初登頂。
- このときは21番華頂山から都ホテルへ下る途中、登頂した。
- 粟田山
- 一言で言えば粟田神社の背後、蹴上にぽっかり浮かぶなだらかな山。
- 市街から見る場合、華頂山から北に続く稜線上の1つのピークとして見つけることができる。
- 蹴上・岡崎から見る場合、華頂山の手前に立ち塞がる大きな山に見える。華頂山すら見えない。
- 知恩院経蔵のちょうど真後ろに見える山。
- 粟田山も様々な名前で呼ばれ、どこからどこまでが粟田山なのかはっきりしない。三条通の南の山の総称として使われることもあるし、知恩院から蹴上浄水場にかけて一帯の裏山を粟田山という場合もある(ただしこの場合は山頂は華頂山となる)。
- 後述のごとく「粟田山=花頂山」であるから、この山はかつて花見の名所であった。寛正6年(1465)足利義政・夫人日野富子の花見が後世に名を残している。義政は山上で「咲満ちて花より外の色もなし」と発句した。
- 花見の地としては高すぎるが、高貴な人は輿で登ったであろうから無理はないと思う。
- 「粟田口花頂山町」にある。
- 粟田神社
- 貞観18年(876)清和天皇が全国の諸神に疫病封じの祈祷の勅命を出した折、八坂神社で祈願をしていた勅使の夢枕に大己貴神(おおなむち)が現れてこの地に素盞嗚尊を祭神とする社を建てるようお告げがあったことが、この神社の始まり。
- 古代の粟田一族(大宝律令の撰定に参加した粟田朝臣真人などがその一族)を祀った神社との説もある。
- 旧社名は感神院新宮粟田天王宮であったが、明治4年(1871)の神仏分離令に基づき神社に統合され「粟田神社」と改称された。
- 粟田焼(京焼)もここで発祥したと言われる。
- 近くのグルメ
- 瓢亭
- 別館なら比較的安く(4,000円強、H14年現在)「粥」料理がいただける。
- 早朝(9時)訪れると気持ち良い雰囲気のなか朝食がとれる。
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粟田神社(トレイルの標識もある) |
瓢亭=歩くだけで“昔が偲ばれる” |
名物「一子相伝」の瓢亭玉子 |
- 雍州府志での記述
- 花頂山
- 粟田山の西に在る(注:下粟田山のことか)。古え、桜花爛漫の地。
- 東山国有林風致計画での記述
- 花頂山
- 下粟田山の西、青蓮院の東に接し、中世華頂院があった。
- 比定
- 花頂山
- 「粟田山=花頂山」との比定は怪しまれるかもしれないが、かつて粟田山に「花頂院」があったという事実、「華頂山=知恩院山」とするしかないことからも、この比定は充分正しいものと考えてよい。
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粟田神社越しに見る粟田山 |
粟田神社から登る道 |
黒谷から都ホテル越しに見る粟田山 |
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知恩院三門越しに見る粟田山 |
粟田山頂(一本松と遠く二本松) |
粟田山頂から西の市街を覗く |