(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
里内裏
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回数 | 内裏焼失日 | 該当する天皇 | 里内裏の場所 | 里内裏期間 | 内裏還幸日 | 次の焼失までの期間 | 備考 | ||||
1 | 天徳4年(960) | 9月 | 23日 | 62村上 | 冷泉院 | 約420日 | 応和元年(961) | 11月 | 20日 | 約14年6ヶ月 | 再建後すぐ内裏に戻る |
2 | 天延4年(976) | 5月 | 11日 | 64円融 | 堀河院 | 約440日 | 貞元2年(977) | 7月 | 29日 | 約3年4ヶ月 | 3回も火災に遭遇 3度目の内裏還幸を期に(還幸してから)譲位 |
3 | 天元3年(980) | 11月 | 22日 | 四条後院 | 約340日 | 天元4年(981) | 10月 | 27日 | 約1年1ヶ月 | ||
4 | 天元5年(982) | 11月 | 17日 | 堀河院 | 約650日 | 永観2年(984) | 8月 | 27日 | 約14年7ヶ月 | ||
5 | 長保元年(999) | 6月 | 14日 | 66一条 | 一条院 | 約480日 | 長保2年(1000) | 10月 | 11日 | 約1年2ヶ月 | 同様に3回の火災に遭遇 3度目の再建目前、一条院に移って崩御 |
6 | 長保3年(1001) | 11月 | 18日 | 一条院 | 約690日 | 長保5年(1003) | 10月 | 8日 | 約2年2ヶ月 | ||
7 | 寛弘2年(1005) | 11月 | 15日 | 東三条殿 | 約2,100日 | 寛弘8年(1011) | 8月 | 11日 | 約2年6ヶ月 | ||
8 | 長和3年(1014) | 2月 | 9日 | 67三条 | 枇杷殿 | 約590日 | 長和4年(1015) | 9月 | 20日 | 約2ヶ月 | あっと言う間にまた火災 2度目の再建を前に譲位 |
9 | 長和4年(1015) | 11月 | 17日 | 枇杷殿 | 約900日 | 寛仁2年(1018) | 4月 | 28日 | 約21年2ヶ月 | ||
10 | 長暦3年(1039) | 6月 | 27日 | 69後朱雀 | 二条殿 | 約900日 | 長久2年(1041) | 12月 | 19日 | 約12ヶ月 | 2度目の再建を前に東三条殿で崩御 |
11 | 長久3年(1042) | 12月 | 8日 | 東三条殿 | 約1,400日 | 永承元年(1046) | 10月 | 8日 | 約2年1ヶ月 | ||
12 | 永承3年(1048) | 11月 | 2日 | 70後冷泉 | 高陽院 | 約8,330日 | 延久3年(1071) | 8月 | 28日 | 約10年11ヶ月 | 再建中、天喜6年(1058)2月26日火災 内裏再建を見ることなく高陽院で崩御 |
13 | 永保2年(1082) | 7月 | 29日 | 72白河 | 堀河院 | 約6,500日 | 康和2年(1100) | 6月 | 19日 | 約50年2ヶ月 | 再建前に譲位、応徳3年(1086)院政始める |
14 | 久安6年(1150) | 8月 | 4日 | 76近衛 | 元服した途端に、地震で崩壊 |
天皇 | 在位期間の年齢 | 退位 | 里内裏の場所 | 補足 |
村上 | 35〜42歳 | (崩御) | 冷泉院 | 内裏で崩御 |
冷泉 | 18〜20歳 | 譲位 | 里内裏を使わなかった、譲位後冷泉院で崩御 | |
円融 | 11〜26 | 譲位 | 堀河院、四条後院 | 譲位後、円融寺(龍安寺近く、今は無い)で崩御 |
花山 | 17〜19歳 | 譲位 | 里内裏を使わなかった、譲位後、花山院で崩御 | |
一条 | 7〜32歳 | (崩御) | 東三条殿(誕生)、枇杷殿、一条院(崩御) | 母=藤原詮子(あきこ、道長の姉) |
三条 | 36〜41歳 | 譲位 | 東三条殿(誕生)、一条院(受禅)、枇杷殿(譲位) | 譲位後、三条院(道長が造営した後院)で崩御 |
後一条 | 9〜29歳 | 崩御 | 一条院、土御門殿(受禅) | 藤原道長の外孫、内裏で崩御 |
後朱雀 | 28〜37歳 | (崩御) | 土御門殿(誕生)、二条殿、一条院、高陽院、東三条殿(崩御) | 藤原道長の外孫 |
後冷泉 | 21〜44歳 | 崩御 | 東三条殿(受禅)、土御門殿、二条殿、冷泉院、四条殿、一条院、三条堀河殿、高陽院(崩御) | 藤原道長の外孫、ほとんど里内裏 |
後三条 | 35〜39歳 | (崩御) | 閑院(受禅)、二条殿、三条大宮殿、高陽院、四条殿 | 譲位後大炊御門万里小路殿で崩御 |
白河 | 20〜34歳 | 院政 | 高倉殿、高陽院、六条院、堀河院、三条東殿 | 法皇になって三条西殿で崩御 |
堀河 | 8〜29歳 | 崩御 | 堀河院(受禅、崩御)、大炊殿(南殿)、閑院、二条殿、高陽院 | 父白河院の専制強まる |
鳥羽 | 5〜21歳 | 譲位 | 大炊殿(西殿)、小六条殿、土御門万里小路殿、高陽院、大炊殿(東殿)、土御門烏丸殿 | 中宮待賢門院を挟んで祖父白河院と不仲に |
崇徳 | 5〜23歳 | 譲位 | 土御門烏丸殿(受禅)、三条南殿、二条殿、小六条殿 | 讃岐の配所(保元の乱)で崩御 |
近衛 | 3〜17歳 | 崩御 | 土御門烏丸殿(受禅)、四条東洞院殿、八条殿、小六条殿、近衛殿(崩御) | ずっと父鳥羽の院政下にいた |
背景=緑:石碑(または木札、説明板)がある 背景=青:なにも痕跡は残っていない 背景=白:参考までに (注1)「八条殿」は東八条殿のこと。地図が縦長になり過ぎるので七条以南は省略した。 (注2)「大炊御門万里小路殿」は厳密には「里内裏」ではないかも。後三条天皇は譲位後に遷ったとも、鳥羽天皇里内裏の記録にも“うっすら”出てくるが確証はない。 |