(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

里内裏           (INDEX:索引へ)


【広辞苑第六版】によれば「平安京内裏の外に臨時に設けられた皇居」とある。
実際には『内裏火災などで大内裏外に設けられた仮御所』の観が強い。
内裏火災と里内裏の場所などについて分析した。

久安6年(1150)以降は政治&経済の理由であまり内裏が使われなくなり、文治元年(1185)からは鎌倉時代になるので、分析は久安6年(1150)までとした。

(索引)    内裏火災と里内裏利用の分析    記録に残る里内裏    里内裏の位置
小倉百人一首68番白河院以降の「院内裏」小倉百人一首77番
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67三条は在位=51月、内裏使用=18月72白河の院政以降、内裏の重要性が低下した75崇徳は里内裏を使う必要はなかったのに
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上記の表を横棒グラフにすると、図のようになる。「緑」部分が「里内裏期間」(ただし「年単位」にまとめたので多少、不正確)
下の欄は「在位天皇」と「院政」(ただしこれも「年単位」にまとめた)


clickすれば大きな画像 背景=緑:石碑(または木札、説明板)がある

背景=青:なにも痕跡は残っていない

背景=白:参考までに


(注1)「八条殿」は東八条殿のこと。地図が縦長になり過ぎるので七条以南は省略した。

(注2)「大炊御門万里小路殿」は厳密には「里内裏」ではないかも。後三条天皇は譲位後に遷ったとも、鳥羽天皇里内裏の記録にも“うっすら”出てくるが確証はない。