80.待賢門院堀河

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なかからむ  こころもしらす  くろかみの  みたれてけさは  ものをこそおもへ
長からむ 心もしらず くろかみの みだれてけさは 物をこそ思へ
長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ

■類似語句  こころもしらず
物をこそ思へ
■友札 ながらへば
■歌について
藤原顕輔の歌と同じく崇徳院久安六年百首の歌。後朝の恋の歌。殷富門院大輔、二条院讃岐の歌同様の妖艶美好みで撰ばれたと思われる。
■出典
千載集恋上
■作者略歴
生没年未詳(1143の頃)。神祇伯顕仲の娘、前の斎院(令子内親王)に仕える六条の妹(または本人?)、といわれる。この待賢門院は、鳥羽天皇の女御璋子、崇徳院の母。
【補】
堀河の使えた「待賢門院」についてはこちらにまとめた。


  • 「待賢門院堀河」も「史料」が少ないですが、分かっていることを整理してみました。
    1. 「露しげき 野辺にならひて きりぎりす わが手枕の したに鳴くなり」は「金葉和歌集」に前斎院六条として採られた。
      • 天治2年(1125)以前(25歳未満)の和歌である。
    2. 「言ふかたも なくこそ物は 悲しけれ こは何事を 語るなるらむ」は自撰の「待賢門院堀河集」に載っている。
      • 「伴侶が亡くなって嘆いているのに、幼い子供は何かお喋りしている」と詞書にあるので、大治5年(1130)頃の和歌か。
    3. 待賢門院が亡くなって1年経った頃(久安2年(1146))法金剛院にお参りして「君恋ふる 嘆きのしげき 山里は ただ日暮しぞ 共に泣きける」(大好きだった御主人が亡くなって、今も蝉(ヒグラシ)と一緒に泣くだけです。金葉和歌集)と詠んだ。待賢門院との関係が深かったので今でも「待賢門院堀河」と呼ばれる。
    4. 同じ頃西行から和歌が贈られてきて「吹く風の 行方知らする ものならば 花と散るにも 遅れざらまし」(風が女院の行方を教えてくれるのなら、私がその風の後を追っていきますわ)と返した。
      • 西行が贈った和歌は「尋ぬとも 風のつてにも 聞かじかし 花と散りにし 君が行方を」(花のようにお散りなった女院の行方を、お聞きすることは出来ないのでしょうね)で、共に西行の「山家集」に載っている。