(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

(平安時代の)内親王           (INDEX:索引へ)


HPの中に「内親王」のことを多く書いてきて、結果「あちこちに散らばってしまっています」。
平安時代の内親王に限って「親の天皇」ごとに、まとめてみました。


天皇から内親王宣下を受けた者に限ります。とは言え、私が史料を取り違えている可能性もあります。「書き洩らし」または「書き過ぎ」があるかもしれません。その点はご容赦ください。
(見出しの)内親王名の後括弧内は「生年−没年」。

    50桓武    51平城    53淳和    58光孝    60醍醐    61朱雀    64円融    68後一条    72白河    75崇徳    78二条
  1. 桓武天皇(天平9年(737)−延暦25年(806)3月17日)
    伊都内親王の子布勢内親王が祭神になっている「西院野々宮神社」
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    「在原業平生母」というだけで「伊都内親王の名」は残るここに参れば「布勢内親王」を偲べる
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  2. 平城天皇(宝亀5年(774)8月15日−天長元年(824)7月7日)
  3. 嵯峨天皇(延暦5年(786)9月7日−承和9年(842)7月15日)
    正子内親王の墓(参考地)有智子内親王の墓
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    大覚寺の南にある「圓山陵」。宮内庁管理で入れない制札には「陵ではなく墓」と書いてある
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  4. 淳和天皇(延暦5年(786)−承和7年(840)5月8日)
  5. 仁明天皇(弘仁元年(810)9月24日−嘉祥3年(850)3月21日)
  6. 文徳天皇(天長4年(827)8月−天安2年(858)8月27日)
  7. 清和天皇(嘉祥3年(850)3月25日−元慶4年(881)12月4日)
  8. 陽成天皇(貞観10年(869)12月16日−天暦3年(949)9月29日)
    「伊勢物語」に描かれた「伊勢の斎宮」(恬子内親王)
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    「伊勢物語」は今でも広く読まれている「69段」に「その男、伊勢の国に狩の使に行きけるに、かの伊勢の斎宮なりける人の・・・」と書かれている
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  9. 光孝天皇(天長7年(830)−仁和3年(887)8月26日)
  10. 宇多天皇(貞観9年(867)5月5日−承平元年(931)7月19日)
    57陽成に想われた綏子内親王「大和物語」に描かれた均子内親王
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    結局は「57陽成の後宮」に入ったのだから、綏子内親王も「少しはいいな」と想っていたのかも「147段」に均子内親王が「かぎりなく 深くしづめる わが魂は 浮きたる人に 見えむものかは」と詠んでいる場面が描かれている
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  11. 醍醐天皇(元慶9年(885)1月18日−延長8年(930)9月29日) 先頭へ

  12. 朱雀天皇(延長元年(923)7月24日−天暦6年(952)8月15日)
  13. 村上天皇(延長4年(926)6月2日−康保4年(967)5月25日)
  14. 冷泉天皇(天暦4年(950)5月22日−寛弘8年(1011)10月24日)
    昌子内親王の陵(岩倉陵)選子内親王の「発心和歌集」
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    大雲寺の旧地跡」の脇にある。和泉式部も昌子内親王を弔うためにこの近くへ引っ越してきた選子内親王が賀茂斎院で編んだ「私家集」は今でも読める
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  15. 円融天皇(天徳3年(959)3月2日−正暦2年(991)2月12日)
  16. 花山天皇(安和元年(968)10月26日−寛弘5年(1008)2月8日)
  17. 一条天皇(天元3年(980)6月1日−寛弘8年(1011)6月22日)
  18. 三条天皇(天延4年(976)1月3日−寛仁元年(1017)5月9日)
    道雅に想われた当子内親王禎子内親王の陵(陽明門院円乗寺東陵)
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    当子内親王は「藤原道雅」をどれだけ想っていたのか69後朱雀天皇円乗寺陵のすぐ東にあるから「円乗寺東陵」
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  19. 後一条天皇(寛弘5年(1008)9月11日−長元9年(1036)4月17日)
  20. 後朱雀天皇(寛弘6年(1009)11月25日−寛徳2年(1045)1月18日)
  21. 後冷泉天皇(万寿2年(1025)8月3日−治暦4年(1068)4月19日)
  22. 後三条天皇(長元7年(1034)7月18日−延久5年(1073)5月7日)
    章子内親王の陵(菩提樹院陵
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    父・68後一条と同じ陵に埋葬された
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  23. 白河天皇(天喜元年(1053)6月19日−大治4年(1129)7月7日)
  24. 堀河天皇(承暦3年(1079)7月9日−嘉承2年(1107)7月19日)
  25. 鳥羽天皇(康和5年(1103)1月16日−保元元年(1156)7月20日)
    統子内親王の陵(花園東陵)ワ子内親王(八条院)の墓よし子内親王・中宮冊立の地(高松殿)
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    母・待賢門院藤原璋子の陵(花園西陵)の向いにある75歳で崩御し、仁和寺・蓮華心院(廃絶)に埋葬された。現在は「鳴滝の常盤古御所町」に比定されている高松殿(鳥羽上皇が新造営し、保元の乱では後白河方の拠点に)に因んで院号は「高松院」となった
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  26. 崇徳天皇(元永2年(1119)5月28日−長寛2年(1164)8月26日)
  27. 近衛天皇(保延5年(1139)5月18日−久寿2年(1155)7月23日)
  28. 後白河天皇(大治2年(1127)9月11日−建久3年(1192)3月13日)
    伝・式子内親王の墓(定家葛の塚式子内親王の後姿
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    定家葛の塚の「塚の上にある五輪塔」が「式子内親王の墓」と伝えられる小倉百人一首の絵札から
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  29. 二条天皇(康治2年(1143)6月18日−永万元年(1165)7月28日)
  30. 六条天皇(長寛2年(1164)11月14日−安元2年(1176)7月17日)
  31. 高倉天皇(永暦2年(1161)9月3日−治承5年(1181)1月14日)
  32. 安徳天皇(治承2年(1178)11月12日−寿永4年(1185)3月24日)
  33. 後鳥羽天皇(治承4年(1180)7月14日−延応元年(1239)2月22日)
    昇子内親王の墓禮子内親王の墓
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    白河天皇の成菩提院陵の近くにある「浄菩提院塚陵墓参考地」が墓と考えられている。塚らしいものも無い太秦安井にあって、広い墓域の奥に「五輪塔」(多分これがお墓)が置かれている
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