(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
(平安時代の)内親王
(INDEX:索引へ)
正子内親王の墓(参考地) | 有智子内親王の墓 |
大覚寺の南にある「圓山陵」。宮内庁管理で入れない | 制札には「陵ではなく墓」と書いてある |
57陽成に想われた綏子内親王 | 「大和物語」に描かれた均子内親王 |
結局は「57陽成の後宮」に入ったのだから、綏子内親王も「少しはいいな」と想っていたのかも | 「147段」に均子内親王が「かぎりなく 深くしづめる わが魂は 浮きたる人に 見えむものかは」と詠んでいる場面が描かれている |
道雅に想われた当子内親王 | 禎子内親王の陵(陽明門院円乗寺東陵) |
当子内親王は「藤原道雅」をどれだけ想っていたのか | 69後朱雀天皇円乗寺陵のすぐ東にあるから「円乗寺東陵」 |
章子内親王の陵(菩提樹院陵) |
父・68後一条と同じ陵に埋葬された |
統子内親王の陵(花園東陵) | ワ子内親王(八条院)の墓 | よし子内親王・中宮冊立の地(高松殿) |
母・待賢門院藤原璋子の陵(花園西陵)の向いにある | 75歳で崩御し、仁和寺・蓮華心院(廃絶)に埋葬された。現在は「鳴滝の常盤古御所町」に比定されている | 高松殿(鳥羽上皇が新造営し、保元の乱では後白河方の拠点に)に因んで院号は「高松院」となった |
伝・式子内親王の墓(定家葛の塚) | 式子内親王の後姿 |
定家葛の塚の「塚の上にある五輪塔」が「式子内親王の墓」と伝えられる | 小倉百人一首の絵札から |
昇子内親王の墓 | 禮子内親王の墓 |
白河天皇の成菩提院陵の近くにある「浄菩提院塚陵墓参考地」が墓と考えられている。塚らしいものも無い | 太秦安井にあって、広い墓域の奥に「五輪塔」(多分これがお墓)が置かれている |