(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
小野宮家
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邸宅「小野宮」 | |
「小野宮」は左京二条三坊十一町 現在の「烏丸通丸太町下ル−西側」 「小野宮厨町(二条三坊六町)」の西半分には、実資の姉(尼君)が住んだ 「小野宮北宅(二条三坊十町)」へ拡張し、実資の養子資平が住んだ 「小野宮南町(二条三坊十二町)」には、家人が住んだ 「小野宮東町(二条三坊十四町の西半分)」へも拡張し、「寝殿」を造った 東半分には少将井があった |
C実頼の小野宮(のあたり) | F頼忠の三条院(のあたり) | 実資(小右記) | 公任 | 定頼 |
現在の烏丸通丸太町下ル(二条三坊十一町) | 現在の三条通大宮東入ル(四条二坊一町) 源氏物語の「夕霧邸」に比定されている | 治安元年(1021)(68後一条)右大臣 | 寛弘6年(1009)(66一条)権大納言 | 長元2年(1029)(68後一条)権中納言 |
師輔の一条殿 | D伊尹(謙徳公) | E兼通の堀河院 | G兼家の妻(右大将道綱母) |
現在の大宮通中立売上ル(北辺二坊一町) | 天禄元年(970)(64円融)摂政右大臣 | 現在の堀川通二条下ル(三条二坊九〜十町) | 奥様は美人で文化人(蜻蛉日記)だったようです |
H道隆の妻(儀同三司母) | I道兼の町尻殿(のあたり) | J道長の法成寺 |
清少納言が勤めた中宮定子の母でもある | 現在の室町通二条上ル(二条三坊五町) | 旧暦万寿4年12月4日(1028-1-3)道長はここで亡くなった(現在の寺町通荒神口上ル) |