(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
宗達
(INDEX:索引へ)
(念のため)この作品の著作権保護期間は終了しています。「忠実に再現するために撮影された写真」には通常著作権が発生しない(のですが博物館では一般人は撮影できない、そこでこの写真はPublicDomainから)。 |
生家上京小川あたり | 扇屋 |
(現今出川通小川東入ル兼康町)表通りに面していなければ「こんな感じ」だったか。 | 写真は「宮脇賣扇庵」(六角通富小路東入ル)。創業が文政6年(1823)だから俵屋より新しいが、俵屋も店構えはこんな感じだったか。 |
宗達自筆書状(唯一) 醍醐寺の僧「快庵」に宛てた書状 筍をもらったお礼(が書いてある) 年月日は不詳 宗達の字と花押がある どんな筆跡なのかがわかる貴重な史料 日本の美術「宗達と光琳」(小学館)から |
西暦 | 和暦 | 数え年 | 作品 | 補足説明 | 関連事跡 |
1569 | 永禄12年 | 1 | ここでは永禄13年(1570)の少し前とした | フロイス、信長に謁す | |
1602 | 慶長7年 | 34 | 平家納経(3巻の表紙図・見返し図の計6図、国宝) | 初めての足跡である | 海北友松「山水図屏風」を描く |
1605 | 慶長10年 | 37 | 「隆達節歌巻」の木版四季草花下絵 | ||
1606 | 慶長11年 | 38 | 「光悦色紙」の金銀泥下絵[月に秋草図・秋の稲田図] | 本阿弥光悦(書)との合作 光悦との付き合いは長い | |
1610 | 慶長15年 | 42 | 「三十六歌仙和歌巻」の鶴下絵(重文) | 長谷川等伯、没 | |
1616 | 元和2年 | 48 | 「和歌巻」の四季草花下絵(畠山記念館所蔵、重文) | 本阿弥光悦、鷹峯の地を拝領(1615) | |
1621 | 元和7年 | 53 | 養源院の襖絵[松図]、杉戸絵[唐獅子図・白象図](重文) | 尾形宗伯(光琳の祖父)の推薦があった(との説も) | この頃、土佐光吉「源氏物語図帖」 |
1622 | 元和8年 | 54 | 醍醐寺無量寿院の障壁画[芦鴨図](水墨画、重文) | 他の障壁画は焼失、現在芦鴨図のみ「衝立」で残る | |
「蓮池水禽図」(水墨画、国宝) | 「伊年」の落款あり、この頃の制作か(1623) | ||||
1626 | 寛永3年 | 58 | 「松島図」屏風(六曲一双、フーリア美術館所蔵) | この頃までに法橋に(1624-1627) | この頃、狩野探幽「二条城の障壁画」 |
1627 | 寛永4年 | 59 | 「雲龍図」屏風(六曲一双、水墨画、フーリア美術館所蔵) | 「宗達法橋」の落款 | |
1630 | 寛永7年 | 62 | 「西行物語絵巻」(模写本、重文) | ||
醍醐寺の「舞楽図」屏風(二曲一双、重文) | 「法橋宗達」の落款 | ||||
1631 | 寛永8年 | 63 | 「源氏物語関屋澪標図」屏風(六曲一双、国宝) | 「法橋宗達」の落款、静嘉堂文庫美術館所蔵 | |
1639 | 寛永16年 | 71 | 「風神雷神図」屏風(二曲一双、国宝) | 跡継ぎの宗雪が堺・養寿寺の杉戸絵を描く | 本阿弥光悦、没(1637、81歳) |
1642 | 寛永19年 | 74 | ここでは有力説どおりこの年の「没」とした |