(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
光悦・宗達・光琳の関係
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本阿弥光悦・宗達・尾形光琳は
いろいろなところ
で関係している。
関係性を知っておいた方が、それぞれの生涯・作品が理解しやすくなる。
家系的な関係
確からしいところの「家系図」をまとめると、次のようになる。
(注)「赤背景」は
女性
関係の少ない部分は省略している
(例:兄弟の一部)
「破線」は養子関係
E〜Hは「本阿弥
本家
」の相続順
「道伯・宗伯」は「道柏・宗柏」とも
光悦と光琳は
、光悦の「姉
(法秀)
」を介して
(少し遠いが)
血が繋がっている
(義理の曾孫)
。
本阿弥光悦は、
(従姉妹)
「妙得」と結婚した。
本阿弥家の家系図を見ると、「妙得の妹」のところに
タワラヤ宗達室
との書き込みがある。
これが事実なら、
宗達は妻帯した
ことになり、
宗達は光悦の親戚
になるが、信用性は低そう。
「名前も不詳」で上の家系図では「女」と表記した。
光悦町の住居配置図
光悦寺所蔵の「光悦町古図」から。
光悦が
鷹峯
の地を拝領して
(元和元年(1615))
「光悦村」を創った頃と思われます。ここに
光悦寺
もある。
(注)間口の広さは「古図」のとおりですが
道路
幅
および住居の
奥行き
は全くの推定
(イメージだと思ってください)
地図としては「本当は
北西
に傾いています」
(千本通は「北西から南東」)
(概ね)
姓が無いのは「本阿弥家」
本阿弥光悦
(
永禄元年(1558)生
)
の屋敷が最も広くなっている
茶屋四郎次郎
も資金を出して協力したか
(当時は「新町通蛸薬師下ル」に住んでいた)
宗達
(光悦の約10歳年下)
の従姉妹「
蓮池常有
」
(「俵屋(織家)当主)
も光悦村に参加した。
参加したのは「宗達との関係」でしょう。
宗達も光悦村に出入りした
と想像するのは自然、と思われます。
光琳
(光悦から100年後に生まれた)
の祖父「
尾形宗伯
」
(尾形家当主)
も参加している。
尾形宗伯と蓮池常有の関係から、
尾形宗伯
(光琳の祖父)
が
宗達を支援した
というのもあり得るかな、と思われます。
光悦・宗達・光琳の関係を
簡単に図示すると左のようになる
宗達
(風神雷神図屏風(部分))
本阿弥
光悦
(舟橋蒔絵硯箱(1958発行切手))
尾形
光琳
(燕子花図屏風(部分))