(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典:番外)
まだまだある杉並区の写真
(INDEX:杉並区の索引へ)
「145」東原遺跡(久我山5丁目18番7号) | 「74」高井戸東遺跡(高井戸東3丁目7番5号) | [136]向ノ原遺跡B地点(久我山2丁目16番14号) | [49]川南遺跡(荻窪2丁目34番20号) |
旧石器後期(約30,000年前)〜縄文時代にかけての複合遺跡で「久我山小学校」脇に標示板がある | 旧石器(約28,000年前)時代の局部磨製石斧(石器)が発掘された、「高井戸地域区民センター」内に標示板がある | 先土器(約16,000年前)〜縄文時代の集落跡で「東京都太田記念館」のすぐ隣に標示板がある | 先土器(約12,000年前)時代の遺跡で「荻窪地域区民センター」前に標示板がある |
[11]済美台遺跡(堀ノ内1丁目16番38号) | [138]向方南遺跡(方南1丁目52番7号) | [103]方南峰遺跡(堀ノ内1丁目3番1号) | [129]向山遺跡(堀ノ内2丁目5番26号) |
旧石器終期から縄文(約5,000年前)、弥生時代にかけて長い期間の複合遺跡で「済美山運動広場」内に標示板がある | 縄文後期(約2,500年前)を主体とする遺物散布地で「方南小学校」の手前に標示板がある | 弥生(約2,500年前)〜古墳時代にかけての集落跡で「泉南中学校」脇に標示板がある | 古墳後期(約1,400年前)を主体とする集落跡で「済美教育センター」近くに標示板がある |
[72]成宗白山神社(成田東2丁目2番2号) | [60]高円寺天祖神社(高円寺南1丁目16番19号) | [116]市杵嶋神社(善福寺3丁目18番) |
創建不詳。大宮八幡宮の創建(康平6年(1063年)と同じ頃と考えられている | 寛治元年(1087)創建、その後、村の産土神(旧高円寺村の鎮守)になった | 縁起によれば建久8年(1197)勧請されたとある、善福寺池の弁財天。寛永年間(1624-1644)奥から手前に移動 |
[153]長廣山立法寺(和田2丁目16番13号 | [32]医王山悉地院東円寺(和田2丁目18番3号) | [45]神明天祖神社(南荻窪2丁目37番22号) |
赤坂で永正3年(1506)開創、大正8年(1919)当地に移転。浮世絵師「魚屋北渓」の墓もあり、今も隆盛。日蓮宗 | 天正元年(1573)備後の僧祐海が当地に開山とあるから、事実なら杉並区としては相当古い。真言宗 | 創建は不詳、天正12年(1584)検地のときにはあったというからもう少し古いのだろう。鳥居の並びも奥が深い |
[101]如法山長善寺(高円寺南2丁目40番50号) | [106]本光山善照寺(永福1丁目6番8号) | [91]頂光山蓮光寺(和田3丁目30番20号) |
江戸谷中で天正18年(1590)開創、大正15年(1926)当地に移転。赤門寺と呼ばれる自HPはこちら。日蓮宗 | もう少し古い開創、小田原城攻略の際(天正18年(1590))焼失し、江戸に移転した(時期不詳)。大正12年(1923)当地に移転 | 文禄3年(1594)両国で開創、大正4年(1915)当地へ移転。インドに帰国できなかったチャンドラボースの遺骨が眠る |
[102]柳水山浄見寺(永福1丁目6番9号) | [66]江月山海雲寺(成田東4丁目18番9号) | [83]陽光山心月院(梅里1丁目4番27号) | [73]天沼稲荷神社(本天沼2丁目14番10号) |
京都伏見で慶長15年(1610)創建、昭和3年(1928)当地に移転。狂歌師「中井薫堂」の墓がある自HPはこちら、浄土真宗 | 江戸八丁堀で慶長16年(1611)開創、明治43年(1910)当地に移転。本堂脇に木喰上人像がある(写真左手)、曹洞宗 | 江戸南八丁堀で慶長16年(1611)創建、九鬼家の菩提寺であったが、大正2年(1913)当地に移転の際、墓は和歌山に帰った | 蓮華寺の過去帳に慶長19年(1614)のことが記録されているので、創建はもっと早いのだろうが、不明。境外末社も残る |
[28]瑞雲山清見寺(梅里2丁目11番17号) | [154]如説山修行寺(堀ノ内3丁目43番27号) | [87]月高山慶安寺(梅里1丁目4番24号) | [107]寂静山潮音閣法照寺(永福1丁目6番11号) |
寛永初期(1624-1635)成願寺(現中野区)の末寺として創建、馬橋の灸寺で知られた。今なお大きい、曹洞宗 | 麹町で寛永3年(1626)開創、大正元年(1912)当地に移転。金春流の別家「金春八左衛門家十世安治」の墓がある、日蓮宗 | 江戸池ノ端で寛永4年(1627)開創、大正2年(1913)当地に移転。蘭学者「前野良沢」の墓がある、曹洞宗 | 寛永5年(1628)没の「明教」が開山だが、創建時期は不明、昭和3年(1928)当地へ移転。「初代市川團藏」の墓がある、浄土真宗 |
[89]日栄山妙祝寺(梅里1丁目1番19号) | [115]日登山清徳寺(梅里1丁目4番23号) | [86]片岡山智光院(松ノ木3丁目33番30号) | [112]案楽山本仏寺(梅里1丁目1番12号) |
麻布桜田町で寛永5年(1628)開創か、大正3年(1914)当地へ移転。(伊予西条藩)一柳家の墓のある自HPはこちら、日蓮宗 | 麻布で寛永6年(1629)開創、大正2年(1913)当地へ移転。かつて朱の山門があり(今は無い)赤門寺と呼ばれた、日蓮宗 | 上野車坂で寛永7年(1630)開創、大正元年(1912)当地へ移転。北町奉行「永田正道」の墓がある自HPはこちら、臨済宗 | 江戸谷中で寛永8年(1631)創建、昭和17年(1942)当地へ移転。関東「三鬼子母神」の一つ、日蓮宗 |
光栄山託法寺(永福1丁目6番6号) | [100]真成山願泉寺(南荻窪3丁目31番23号) | [53]春日神社(宮前3丁目1番12号) | [41]玉光山薬王院(桃井2丁目4番2号) |
四ッ谷で寛永11年(1634)開創、大正11年(1922)当地へ移転。真宗大谷派 | (現埼玉県)幸手で寛永18年(1641)開創、昭和8年(1933)当地へ移転。今は近代的な伽藍に、真宗大谷派 | 「大宮前」開村のとき農民井口八郎右衛門が勧請したので万治年間(1658-1660)創建か。社前に大宮前鎮守の石碑が建っている。 | 創建は不明だが元禄13年(1700)には今川範高から土地の寄進を受けている。明治以降、観泉寺の境外仏堂内になった |
[40]日王山阿遮院長仙寺(高円寺南3丁目58番4号) | [64]不動堂(荻窪2丁目28番) | [8]天神社(高井戸西1丁目7番2号) | [84]成宗弁財天社(成田東5丁目29番3号) |
中野法仙寺の真秀が宝永元年(1704)に開創。境内に歯神様と愛称される如意輪観音坐像(石仏)がある、真言宗 | 堂の中に宝暦6年(1756)造立の「南無妙法蓮華経不動明王」の碑がある。現荻窪高校あたりから当地に移された | 旧上高井戸村の鎮守(創建の詳細は不明、鎌倉時代とも)、以前は第六天神社と呼ばれた。境内の狛犬には明和8年(1771)の銘が | 成宗村の開村時建立か(詳細不明)。弁天池整備の折(天保11年(1840))掻上げ土で富士塚(富士講のための築山)を作った |
(番外)ご近所なので天沼稲荷神社の境外末社をまとめてみました(これ程はっきり残っている神社は珍しい) | |||
本社と境外末社の地理的関係(本天沼2丁目) | 厳島神社(本天沼2丁目5番15号) | 本社(本天沼2丁目14番10号) | 猿田彦神社(本天沼2丁目25番3号) |
GoogleMapで作成。 括弧内は(番地−号) | 標示板には「市杵嶋神社、三峰神社」とあるが、扁額どおり「厳島神社」と記す | 扁額には「厳島神社、稲荷神社、猿田彦神社」とある | 境外末社の扁額はいずれもかすれていて、読みにくい |
桃井原っぱ公園(桃井3丁目8番1号) | 馬橋公園(高円寺北4丁目35番5号) | 塚山公園(下高井戸5丁目23番12号) |
名前のとおり「原っぱ」のように広い公園 | 杉並区は「桜の名所」と言うが桜は多くない | 縄文時代の遺跡(下高井戸塚山遺跡)もある |
立教女学院 | 杉並学院高等学校 | 日本大学第二高等学校 |
小学校から短期大学まである。聖マーガレット礼拝堂は区の指定有形文化財 | 中高一貫、高校からの入学も可能。通称「杉学」 | 中高一貫校、高校からの入学も可能。「日大二高通り」がある |
文化学園大学杉並高等学校 | 日本大学鶴ケ丘高等学校 | 國學院大學久我山高等学校 |
中高一貫、高校からの入学も可能。高校は「文大杉高」と通称される、2018年度から共学に(男子の受け入れ) | 日本大学の付属高校 | 中高一貫校、高校からの入学も可能 |
東運寺(方南2丁目5番4号) | 宝昌寺(成田西3丁目3番30号) | 田端神社(荻窪1丁目56番10号) | 路傍の堂宇(松ノ木1丁目5番10号) |
境内の竹藪の中に、寛文8年(1668)銘。杉並区の中では相当古い、損傷も少ない | 右が(これも古く)寛文8年(1668)銘 左は元禄3年(1690)で(珍しく)坐像 | 左が延宝5年(1677)銘、右の大きな方は享保3年(1718)銘(邪鬼もいる) | 堂の中、右の笠付が貞享2年(1685)銘、左の大きいのが享保5年(1720)銘 |
観泉寺の前(今川2丁目6番) | 西高井戸松庵稲荷神社(松庵3丁目10番3号) | 宝昌寺の門前(成田西3丁目3番30号) | 長仙寺(高円寺南3丁目58番4号) |
共に地蔵坂から移転したもの、右笠付が貞享2年(1685)銘、左は正徳6年(1716)銘 | 境内右手の小堂に、左笠付が元禄3年(1690)銘、右が元禄6年(1693)銘 | 儀右エ門塚(成田東)から移転、宝昌寺の門前に置かれている。元禄3年(1690)銘 | 損傷甚だしく銘不明、同様の地蔵(左)が元禄4年(1691)銘なので同年制作とした |
路傍(和泉2丁目21番36号) | 阿佐谷庚申堂(高円寺北5丁目42番11号) | 堀ノ内地蔵堂(堀ノ内2丁目8番10号) | 路傍の堂宇(久我山3丁目7番17号) |
井の頭通り沿いのコンビニの脇に、元禄5年(1692)銘 | 大きな庚申堂のほぼ中央に、元禄10年(1697)銘。なぜか地蔵信仰の赤い前掛けが | 庚申堂(とも)の中、右端の笠付が元禄13年(1700)銘、左隣が享保元年(1716)銘 | 路傍で拝まれている一猿(元禄13年(1700)銘)、青面金剛像の一部が残ったのか不明 |
個人宅の軒先(本天沼1丁目19番19号) | 成宗白山神社の門前(成田東2丁目2番2号) | 久我山稲荷神社(久我山3丁目37番14号) | 真盛寺(梅里1丁目1番1号) |
隣家の塀と車庫の間に、元禄14年(1701)銘、民間信仰で花も供されている | 門の左下に(うっかりすると見落とす)元禄15年(1702)銘、少しぼんやりしている | 門前右下の小さなお堂の中、元禄16年(1703)銘、養蚕の神西向庚申とも | 境内の塚山(多くの石仏が立ち並んでいる)中、宝永元年(1704)銘、忿怒の相がはっきり |
酒屋の軒下(堀ノ内1丁目14番2号) | 五日市街道沿いの路傍(成田西2丁目20番13号) | 路傍の堂宇(天沼2丁目42番3号) | 馬橋庚申堂(高円寺南3丁目27番1号) |
酒屋軒下の狭いところに、右の大きい方が宝永4年(1707)銘、左は宝暦10年(1760)銘 | 関東バス五日市街道営業所近く、宝永5年(1708)銘、昔多くの旅人が救われたはず | (天沼庚申堂と呼びたい)堂の中、右が正徳5年(1715)銘、左が享保13年(1728)銘 | 開扉堂の中、右が享保元年(1716)銘、左は金剛無しの三猿のみ(延宝元年(1673)銘) |
個人宅の庭先(上高井戸2丁目2番41号) | (今川)庚申堂(今川2丁目2番9号) | 路傍の堂宇(上高井戸2丁目11番56号) | 大宮八幡宮の鳥居脇(大宮2丁目2番14号) |
庭先に、中が正徳6年(1716)銘、左笠付が享保13年(1728)、右は像欠損だが延宝元年(1673)銘 | 小さいが確りした庚申堂の中、享保10年(1725)銘、綺麗に保存されている | まさに路傍の堂宇に祀られた宝暦4年(1754)銘、これぞ庚申塔 | 正面から見て大鳥居の左手脇に、寛政3年(1791)銘、わざわざ木札の標示があります(これは初見) |
六体地蔵(通常「六地蔵」と呼ばれるが、京都の例(6か所に置かれた地蔵の総称)もあるのでここでは「六体地蔵」と呼ぶ) | |||
永福寺墓地(永福1丁目25番2号) | 松林寺(高井戸東3丁目34番2号) | 光明院参道(上荻2丁目1番12号) | 路傍の堂宇(上荻3丁目20番) |
墓地を背にして駒型立像で6体が並ぶ(文政11年(1828)銘、4体は銘不明) | 赤前掛けで整然と並ぶ(宝暦13年(1763)〜享和3年(1803)銘、同時期制作ではない) | 配置は最近変更したのだろう、交互に並ぶ(元文5年(1740)銘、丸彫立像) | 荻窪八幡神社近くのお堂に佇む(詳細不明、6面の浮彫立像) |
別名のある地蔵菩薩(なにか謂れがあって別名で愛されている(信仰されている)) | |||
路傍(善福寺4丁目1番1号) | 清見寺門前(梅里2丁目11番17号) | 路傍の堂宇(本天沼2丁目38番1番) | 路傍の堂宇(成田東4丁目31番1番) |
青梅街道沿いに立つ江戸向地蔵と呼ばれる「開運地蔵尊」(享保14年(1729)銘) | 青梅街道沿いに立つ北向清顔地蔵と呼ばれる(寛文4年(1664)銘) | 四辻に立つ稲穂地蔵と呼ばれる「意安(いあん)地蔵尊」(享保2年(1717)銘)、不思議と交通事故が無い | 関口のお地蔵様と呼ばれる(元文2年(1737)銘)、地元の人がいつもお掃除している |
少し形の変わった地蔵菩薩 | |||
長龍寺(高円寺南2丁目31番2号) | 慶安寺(梅里1丁目4番24号) | 永昌寺門前(永福1丁目6番15号) | 薬王院(桃井2丁目4番2号) |
「豆腐地蔵」のある地蔵堂の前で考えている半跏の地蔵さん(宝永5年(1708)銘) | 両脇侍を構えて坐っている地蔵(砂山地蔵尊、寛保2年(1742)銘)、如来に格上げか | 長い錫杖を持つお地蔵さん(中央、寛永8年(1631)銘)、右と比べれば一目瞭然 | 「優しい顔」ではなく人生に練れたしたり顔のお地蔵さん(享保3年(1718)銘)もいます |
馬頭観音(畜生道で救済する菩薩、名前から「家畜馬の守り神」にも。庚申塚/庚申塔に一緒に祀られることも多い) | |||
蓮華寺(本天沼2丁目17番8号) | 路傍の堂宇(下井草2丁目4番2号) | 宝昌寺の門前(成田西3丁目3番30号) | [104]民間信仰石塔(成田東3丁目)(成田東3丁目15番4号) |
庚申と見紛う馬頭観音(寛延元年(1748)銘)、でも三面八臂だから馬頭観音 | もっとよくわかる坐像(文化12年(1815)銘)、正面の顔の破損はあるが | 野仏ならぬ「野馬頭観音」(文化13年(1816)銘)、顔は和らいできている | 堂宇に置かれた3基の中央(宝暦10年(1760)銘)、頭上の馬が目立つ |
如意輪観音(天道で救済する菩薩、転じて「六道すべて」で救済する菩薩に、いつも思案ありげに頬杖をついて坐っている) | |||
真盛寺(梅里1丁目1番1号) | 西方寺(梅里1丁目4番56号) | 長仙寺(高円寺南3丁目58番4号) | 観泉寺の前(今川2丁目8番) |
諸仏の上に君臨する如意輪観音坐像(延宝(1673頃)の刻が見えそうだが不詳) | 境内の地蔵山(多くの石仏を集結)に埋もれている坐像(延宝7年(1679)銘) | 「岩の河原の最上部」に坐る(享保9年(1724))、歯神様と崇められている | 「2つ並んだ如意輪観音」、右は享保15年(1730)銘、左は詳細不詳 |
聖観音(地獄道で救済する菩薩、観音菩薩はいろいろ変化(へんげ)するがその変化をしていない元の姿が聖観音) | |||
天桂寺(成田東4丁目17番14号) | 観泉寺の前(今川2丁目8番) | 真峰庵(堀ノ内1丁目7番39号) | 光明院参道(上荻2丁目1番12号) |
台座に「三猿」があり庚申観音とも呼ばれる(寛文4年(1664)銘)、金銅仏のように丸彫 | 左と同じく典型的な聖観音の姿をしている(元禄4年(1691)銘) | 手の揚げ方が逆のような聖観音(安永5年(1776)銘) | 実は右に阿弥陀如来像があって、この像(享保13年(1728)銘)は三尊像の左脇侍 |
阿弥陀如来(西方浄土におはす如来(悟りを得た行者)、西方浄土を信ずる人にとっては南無阿弥陀仏と称えればよい、京都では石仏は少ない) | |||
長泉寺(上高井戸1丁目18番11号) | 観泉寺の前(今川2丁目8番) | 蓮華寺(本天沼2丁目17番8号) | 阿佐谷庚申堂(高円寺北5丁目42番11号) |
角柱の上半分に彫刻(宝暦9年(1759)銘)、典型的な坐像 | 杉並区では多分最も古い阿弥陀さん(元禄6年(1693)銘)、立像である | 境内の左の方へ廻ると正徳3年(1713)銘の阿弥陀が、丁寧に保存されている | 庚申堂に並ぶ正徳5年(1715)銘の像、こうなると最早地蔵菩薩に格下げか |
まさしくその他(いろいろあります) | |||
長泉寺の釈迦如来坐像(上高井戸1丁目18番1号) | 成宗弁財天の大日如来坐像(成田東5丁目29番3号) | 光明院の不動明王立像(上荻2丁目1番12号) | 海雲寺の木喰上人坐像(成田東4丁目18番9号) |
仏教の開祖。意外に「野仏」として全国的には多くの石仏がある、これは三尊像になっている(天保11年(1840)銘) | 真言密教の教主。石仏としては数少ないが臼杵石仏(国宝)が有名、境内左手の台座の上に(弘化2年(1845)銘) | 大日如来の化身、石仏は意外と多く民間信仰の対象。境内の竹林の中に置かれている(延享3年(1746)銘) | 江戸期(享保3年(1718)〜文化7年(1810))の遊行僧、仏像彫刻家でもある。境内左手に置かれている(安永9年(1780)銘) |
八成の庚申堂(井草2丁目24番6号) | [24]民間信仰石塔(和田一丁目)(和田1丁目58番6号) | ||
外観はすでに示した(重複) | 扉を開けると寛保元年(1741)銘の庚申塔(右)が見られる | 十貫坂を下ったところに建っている「東円寺十貫坂地蔵堂」 | 中には大きな享保2年(1717)銘の地蔵菩薩立像、左下に青面金剛像(撮り損ね) |
[35]民間信仰石塔(宮前一丁目)(宮前1丁目17番25号) | [48]井草観音堂(井草1丁目3番14号) | ||
外観はすでに示した(重複) | 扉を開けると中に延宝6年(1678)銘の青面金剛像が立っています | 西武新宿線「下井草駅」のすぐ傍、「旧早稲田通り」沿いに建っています | 畳敷きの奥の「床の間」(風の)ところに、久保の観音様と呼ばれる如意輪観音坐像(寛文7年(1667)銘)が見られます |