(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典:番外)
杉並区概観
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地形概観 | 国土地理院の地形図(二十五万分の一) |
ジオテック(株)から借用させていただいた。台地と河川がわかる | カシミール(レリーフ等高線20m)で作成。東方向へ低くなっている。ピンは最高点と最低点。 |
杉並区最高地点54.3m(善福寺3丁目34番) | 杉並区最低地点28.6m(和田1丁目20番) |
杉並区の西端で、道路の左側は「練馬区」 | 杉並区の東端近く、1本右の道路で「中野区」 |
点名 | 緯度・経度・標高 | 所在地 | 説明 | 写真 | |
八成 (はちなり) |
35°43′38″.1880 139°37′02″.6281 46.79m |
井草2丁目22番 | 環八の一本東の道沿い(東側側溝)、新青梅街道下ル | この石蓋に下にあり 一般人は見られない |
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天沼 | 35°42′33″.9180 139°37′38″.7848 45.47m |
天沼1丁目510番2号 | 日大二高構内、南西の隅(フェンスの内側) | 草を掻き分けないと 見えない |
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大宮 | 35°40′57″.4426 139°38′22″.8049 44.35m |
大宮2丁目1674番 | 東京のへそ(35°40′54″, 139°38′45、大宮八幡宮)の中 大宮八幡宮拝殿の右脇 |
辛うじて標石だけが頭を出している 拝殿幕(紅白)と大木に挟まれて窮屈そう |
河川名 | 概要 | 延長・流域 | 標高 | 写真 | |
[85]妙正寺川 | 妙正寺池を源として東へ流れ 中野区北部で江古田川を合わせた後、高田馬場付近で神田川に合流する。 |
(延長)9.7km (流域)21.4km2 |
45m(妙正寺池) から40m |
妙正寺池から出てすぐ。 桜の時期は綺麗ですが 護岸工事が立派すぎる |
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[39]善福寺川 | 善福寺池に源を発し、区のほぼ中央部を蛇行しながら東へ流れ 中野区との区境付近で神田川に合流する。 杉並区の中央を全域に亘って分断するように東西に流れる河川。 杉並区を代表する河川といってよいだろう。 |
(延長)10.5km (流域)18.3km2 |
45m(善福寺池) から30m |
郷土博物館近く。 ここも石積護岸が進んでいる これくらいなら許せるか |
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[52]神田川 | 井の頭池を源とし区の南部を流れ(1)善福寺川と桃園川を合わせた後 新宿区内で(2)妙正寺川と合流して東へ流れ 文京区と千代田区境の水道橋駅付近で日本橋川を分け、中央区と台東区の区境の柳橋付近で隅田川に注いでいる。 |
(延長)24.6km (流域)105.0km2 |
(平均標高36m) | 久我山近く。 この辺ではまだ細い |
たぬき坂(上井草3丁目11番9号) | 元坊坂(久我山3丁目38番) | 十貫坂(和田1丁目1番) |
早稲田通りの方から見る、流石に長いか | 久我山稲荷を登る杉並区最大の急坂です | 坂下(杉並区)に十貫坂地蔵堂 |
所在 | 樹種名 | 推定樹齢 | 木の特性値 | 住所 | 説明 |
尾崎熊野神社 | 黒松 | 400〜500年 | (高)22m,(周)329cm,(径)105cm | 成田西3丁目9番5号 | 区指定天然記念物。江戸幕府開府時期の木が残っているということか |
相沢喜兵衛宅 | 欅 | 400年か | ---- | 阿佐谷北1丁目6番3号 | 都指定旧跡(屋敷林)であったが、空襲で多くが消失。残っているのか(不明) |
叡昌山宗源寺 | 羅漢槙 | 350年 | (高)12m,(周)231cm,(径)73cm | 下高井戸4丁目2番3号 | 区指定天然記念物 |
和泉熊野神社 | 黒松 | 350年位 | (高)24m,(周)322cm,(径)102cm | 和泉3丁目21番29号 | 区指定天然記念物。徳川家光お手植え、と伝承されている |
荻窪八幡神社 | 高野槙 | 300年以上 | (高)19m,(周)220cm,(径)70cm | 上荻4丁目19番2号 | 区指定天然記念物。太田道灌が戦勝祈願したことから「道灌槙」とも。 これが正しければ、樹齢は500年以上になる |
坂の上のけやき公園 | 欅 | 200/90年(不明) | (高)19m,(周)550cm,(径)---- | 西荻北4丁目38番6号 | (番外)個人所有の通称「トトロの樹」(写真)は保護のため、杉並区が買い取った |
区の木「山茶花」 | 富士塚(善福寺3丁目1番17号) | 富士塚跡「惣同行」(成田東5丁目29番3号) |
周知のためか、道路に埋め込まれています | 神社奥の高み、登れば富士山が見えたか | 「惣同行」の碑が嘗て賑わっていた「冨士講」を偲ばせる |
通称名 | 杉並区の種別 | 計画総距離(m) | 説明 |
千川通り | 補助線 | 1,344 | 杉並区の北辺 井荻駅北方→上井草駅へ7時方向へ斜行(南へ下がる) |
新青梅街道 | 補助線 | 1,546 | 青梅街道のバイパスとして造られた 西武新宿線の北を東西に走る(途中千川通りと交差する) |
[133]早稲田通り | 補助線 | 5,154 | 皇居の田安門から始り、早稲田を経て 西武新宿線の南を東西に走る(杉並区を横断する、写真) |
[38]青梅街道 | 放射線 | 6,877 | 杉並区の幹線道路(写真) 東高円寺駅→荻窪駅→善福寺へ10時方向に斜行する(杉並区を横断する) 慶長10年(1605)大久保石見守長安が、青梅の成木・小曾木の石灰を運ぶために開設したことに始まる |
[50]五日市街道 | 補助線 | 5,670 | 新高円寺駅→松庵へ向かう“U字形”に湾曲した通り(井の頭通りと近接する、写真) 江戸時代、五日市や檜原から木材・炭などを運ぶために整備された脇街道で伊奈道とも呼ばれる |
井の頭通り | 補助線 | 6,407 | 渋谷駅近くから始まって 杉並区の南部、永福駅→井の頭公園方面へ11時方向に斜行する(杉並区を横断する) |
方南通り | 補助線 | 2,203 | 渋谷区本町から始まって 杉並区の南部、方南を通過して大宮(西永福交差点)で井の頭通りに吸収される(杉並区内は短い) |
甲州街道 | 補助線 | 805 | 杉並区の南辺。概ね国道20号線と言ってよい。 江戸幕府によって整備された五街道の1つ(写真)。将軍が甲府城へ逃避することを考慮して造られた |
通称名 | 杉並区の種別 | 計画総距離(m) | 説明 |
環七通り | 環状線 | 4,207 | 杉並区の東辺(環状7号線、写真) 大田区平和島→江戸川区臨海町へ環状している。杉並区内は北上直線道路。 |
荒玉水道道路 | ---- | ---- | 荒玉水道の水道管の上に造られた「特例都道、東京都道428号高円寺砧浄水場線」(写真) 梅里を始点とする世田谷区砧までの異様なまでの(南西方向へ斜め)直線道路 |
中杉通り | 補助線 | 5,550 | 杉並区役所→中野区を抜けて→練馬区貫井(目白通り)まで北上する道路 江戸時代にあった「子の権現」(目白通り)への古い参詣道(権現道)をベースに造られた |
旧早稲田通り | ---- | ---- | 昭和59年(1984)早稲田通りの路線変更で、早稲田通りから外れた部分を「旧早稲田通り」として残した 本天沼2丁目交差点→下井草駅→石神井公園方面へ南西に斜行する |
環八通り | 環状線 | 6,162 | 杉並区の背骨(環状8号線) 大田区羽田空港→北区赤羽まで、環状していない(半環状)。杉並区内は北上直線道路。 |
[63]鎌倉橋(下高井戸4丁目43番13号) | 甲州街道(下高井戸1丁目8番) | バス停「鎌倉街道」(成田西3丁目30番) |
橋の脇に「鎌倉街道」碑が建っている | 信号機標識に「鎌倉街道入口」とある | 浜田山駅を経て(左記の)鎌倉橋に続く |
旧甲州街道(上高井戸1丁目24番) | [142]人見街道(久我山3丁目15番) |
道路標識にも「旧甲州街道」と明記 | 「旧府中道」も今は立派です |
[46]馬橋稲荷神社(阿佐谷南2丁目4番4号)杉並区のHP | [47]西高井戸松庵稲荷神社(松庵3丁目10番3号) |
馬橋消滅時、社名に「馬橋」を付け加えた | (今は無き)中高井戸村と松庵村の鎮守(合祀)です |
[74]高井戸東遺跡(高井戸東3丁目7番5号) | [10]井草遺跡(上井草4丁目13番31号) | [140]下高井戸塚山遺跡(高井戸東5丁目23番12号) |
出土の「局部磨製石斧」(郷土博物館) | 標示板が無ければ遺跡とは気が付かない | 復元住居(縄文時代中期の竪穴住居) |
[18]慈雲山萩寺光明院(上荻2丁目1番3号) | [44]天沼熊野神社(天沼2丁目40番2号) | [23]大宮八幡宮(大宮2丁目3番1号) |
杉並区最古の寺(当然本堂は再建) | 杉並が最初に記録された“あまぬま” | この頃杉並の中心だったのはここ |
[7]井草八幡宮(善福寺1丁目33番1号) | [58]尾崎熊野神社(成田西3丁目9番5号) | 鎌倉街道の痕跡(阿佐谷南2丁目9番) |
源頼朝が戦勝祈願した(写真は楼門) | 鎌倉武士勧請のせいか、境内は質素 | 鎌倉街道はここにも、痕跡は朧気 |
[19]宝光山妙正寺(清水3丁目5番10号) | [17]天沼山蓮華寺(本天沼2丁目17番8号) | 道灌の切通し(上井草4丁目3番10号) |
寺名のとおり「妙正寺池」畔に佇む | 正長元年(1428)刻の入った墓石がある | 文明9年(1477)太田道灌がここで戦った |
道灌橋之跡(井草川遊歩道道灌坂東入ル) | [34]荻窪白山神社(上荻1丁目21番7号) | [27]万歳山永福寺(永福1丁目25番2号) |
“室町時代の雄”道灌が杉並を疾走した | 遠い昔が偲ばれる雰囲気がある | 地名「永福寺」起源の寺 |
[20]念仏山東運寺(方南2丁目5番4号) | [16]大光山中道寺(荻窪2丁目25番地1号) | [15]白龍山宝昌寺(成田西3丁目3番30号) |
昔から「釜寺」と呼ばれ続く | 鐘楼が門に配置される珍しい伽藍 | “古寺”らしい落ち着きが、戦国を感じる |
[21]叡昌山宗源寺(下高井戸4丁目2番3号) | [31]月光山天桂寺(成田東4丁目17番14号) | [3]宝珠山観泉寺(今川2丁目16番1号) |
地名「高井戸」の起源「高井堂」がある | 岡部氏の杉並木は今はもう無い | 地名の基「今川氏累代墓」がある |
[1]妙法寺鉄門(堀ノ内3丁目48番8号) | [61]銀杏稲荷神社(下井草2丁目15番8号) | [29]万年山長泉寺(上高井戸1丁目18番1号) |
建造物として杉並区唯一の重要文化財 | 棟札に「元和2年(1616)」勧請」と | 石像には「承応3年(1654)の刻」がある |
[82]福寿山善福寺(善福寺4丁目3番6号) | [127]地蔵堂(下井草3丁目5番9号) | [120]田中家長屋門(下井草4丁目12番2号) |
境内には「建武元年(1334)の銘板碑」がある | 地蔵供養塔には「宝暦8年(1758)」建立と刻。「田中家」の年寄が管理した | 農民の台頭が見てとれる |
産物名 | 地域 | 開発時期 | 説明 | 現状 |
●高井戸節成胡瓜 | (高井戸西) | 江戸前期 | 「親づるの節ごとに雌花をつける」胡瓜の栽培に成功した。この胡瓜は果実の下半分が白いので「高井戸半白胡瓜」とも呼ばれ、昭和初期までは東京の特産品であった(写真)。 | 戦後になって、都市化・ハウス栽培・消費者ニーズの変化などにより、ほとんど生産されなくなったが、最近「復活プロジェクト」が動き始めた。 |
江戸紫 | (松庵3丁目10・11番) | 宝永年間(1710-) | 松庵の豪農岸野仙蔵(後に杉田屋仙蔵)が、京都の智積院僧侶円光の指導の下、紫草の栽培に成功した。鮮やかな「濃い青みの紫」で「江戸紫」と呼ばれ、江戸の染物業界を席巻した。 | 今でも、歌舞伎の人気演目『助六由縁江戸桜』で、主人公の助六が巻く鉢巻きの色(江戸紫)として残っている。 |
●井荻独活 | (西荻北) | 文政年間(1824-) | 上井草村寺分(西荻北)の古谷岩右衛門は、尾張に出向いて「早出し独活栽培法」を習い、この地での実施に成功した。以来この「早出し独活」は近隣に喜ばれ、多いに売れた(写真)。 | 明治〜昭和初期は広まったが、近年の都市化でこの地での栽培は減少した。その後北多摩地区で「特産東京独活」となり、全国で売られている。 |
(参考)●豊多摩早世クリ | (上荻4丁目19番2号) | 明治20年(1887) | 市川喜兵衛(豊多摩郡井荻村荻窪)は、偶然早く稔る早世の栗を見つけ「豊多摩早世」と名付けた(明治41年(1908))。収量は多くないが高値を付けるので、全国に広まった。 | 害虫にも強い抵抗性を持っていることから、「品種改良の一方の親」としても用いられるようになった。 |
桃井第一小学校(桃井2丁目6番1号) | 大河原家(高円寺北1丁目9番2号) | 竹清堂(下高井戸3丁目1番2号) |
校庭隅に明治8年(1875)発祥の碑が建つ | 明治17年(1884)頃は高貴な雰囲気が | 明治40年(1907)漸く職人が店を構える |
東京女子大学本館(善福寺2丁目6番1号) | [51]区立与謝野公園(南荻窪4丁目3番22号) | 旧中島飛行機発動機発祥之地の碑(桃井3丁目5番5号) |
大正の息吹が感じられる | 昭和55年まで「遥青書屋」はあった | 高性能エンジンはすぐに軍事転用された |
[109]築地本願寺和田堀廟所(永福1丁目8番1号) | 上井草球場跡(上井草3丁目21番13号) | 気象神社(高円寺南4丁目44番19号) | [70]高円寺氷川神社(高円寺南4丁目44番19号) |
多くの門徒が眠っています | もうプロ野球は夢か | 下駄形の絵馬が「明日天気になあれ」 | 創建は天文年間(1532〜1544)、境内末社の一つが左の「気象神社」 |
名称 | 所在地 | 開館/休館 | 説明 | 概観へのリンク |
区立郷土博物館(本館) | 大宮1丁目20番8号 | 月曜日休館、第3木曜日休館 | 杉並に関する歴史と郷土資料の展示。入口は「旧井口家住宅長屋門」 | 概観へ |
区立郷土博物館(分館) | 天沼3丁目22番1号 | 月曜日、第3木曜日休館(無料) | イベントや区民参加型の展示が中心(面白い企画があれば、天沼弁天池公園内へ、写真) | |
区立杉並文学館 | 大宮1丁目20番8号 | 準常設(要事前問合せ) | 井伏鱒二を中心とする昭和初期ころ杉並近辺に移り住んだ“中央沿線作家”達に焦点を当てた展示(区立郷土博物館(本館)に併設) | |
杉並アニメーションミュージアム | 上荻3丁目29番5号 | 月曜日休館(無料) | 「日本のアニメの歴史」からアニメ全般を総合的に紹介(人気上昇中、東京工芸大学、杉並会館3階) | |
井草民俗資料館 | 善福寺1丁目33番1号 | 4〜7月・9・11・12月は第1日曜、8月は第4日曜開館 | 八幡宮の氏子らが収集した郷土資料や民俗資料を展示(井草八幡宮内、写真) | 概観へ |
区立西田小学校郷土資料展示室 | 荻窪1丁目38番15号 | 登校日開室、夏冬春休み期間は第2・第4月曜日開室(無料) | 昭和20〜30年代の「まちの子どもの一日」を(西岸良平の『三丁目の夕日』を使って)展示(西田小学校内) | |
入江一子シルクロード記念館 | 阿佐谷北2丁目8番19号 | 不定期(要事前問合せ) | 大正5年(1916)生まれ(100歳超)の入江一子の作品をかつてのアトリエで展示 | |
小野忠重版画館 | 阿佐谷北2丁目25番16号 | 月〜木曜日休館(最近はずっと休館) | 明治42年(1909)生まれの版画家小野忠重の作品(庶民生活から心象風景)を自宅で展示 | |
村井かるた資料館 | 永福4丁目32番22号 | 現在休館中(要事前問合せ) | 村井省三さんが収集した「かるた関係の資料」(各種かるたを含む)を自宅で展示 | |
Galleryウレシカ | 西荻北2丁目27番9号 | 火水曜日休館(要事前問合せ) | 本と雑貨ショップの2階でショップが企画した展覧会(主に絵画)を開催(写真) |
郷土博物館本館(大宮1丁目20番8号) | 杉並アニメーションミュージアム(上荻3丁目29番5号) | 入江一子シルクロード記念館(阿佐谷北2丁目8番19号) |
今日は文学館も開いている | 東京工芸大学の字が見てとれる | Museumには見えない、大きなお宅です |
大田黒公園(荻窪3丁目33番12号) | 読書の森公園(荻窪3丁目39番16号) | 坂の上のけやき公園(西荻北4丁目38番6号) |
入園料無料で、自然と文化財が楽しめる | 隣の図書館で借りた本をここで読める | “トトロの樹”が目立つ、新緑の頃が良い |
東京女子大学(善福寺2丁目6番1号) | 都立農芸高校(今川3丁目25番1号) | 杉並工業高校(上井草4丁目13番31号) |
国の有形文化財(講堂・礼拝堂)で学ぶ | 東京都で一番古い農業高校 | 杉並区で唯一の都立工業高校 |
蕎麦みわ(井草3丁目15番3号) | うさぎや(阿佐谷北1丁目3番7号) | ラピュタ(阿佐谷北2丁目12番21号) |
元ミシュラン1つ星に敬意を表して | 杉並区の和菓子と言えばここしかない | ひっそりした場所で名画を上映している |
御神水(大宮2丁目3番1号) | 原寺分橋下(西荻北4丁目40番) | 遅の井の滝(善福寺3丁目18番1号) |
大宮八幡宮内の「多摩清水乃社」 | 善福寺池から約1q下流にある | 善福寺池(公園内)の湧き水の一つ |
番号 | 名称 | 住所 | 庚申塔 | 並置の石塔 | 補足 | Link |
126 | 民間信仰石塔(久我山四丁目) | 久我山4丁目50番6号 | 寛文5年(1665)銘(ただし青面金剛像ではなく地蔵菩薩像) | 念仏供養塔・地蔵菩薩・日侍塔と六地蔵で9基 | 享保8年(1723)銘の六地蔵もある | 写真 |
35 | 民間信仰石塔(宮前一丁目) | 宮前1丁目17番25番 | 延宝6年(1678)銘・元禄9年(1696)銘 | かつては大宮前新田であったところで農民の信仰が篤かった | 写真 | |
24 | 民間信仰石塔(和田一丁目) | 和田1丁目58番6号 | 元禄5年(1692)銘・正徳2年(1712)銘・不明 | 地蔵塔が主(あるじ) | 十貫坂地蔵堂の中に保管されている | 写真 |
65 | 民間信仰石塔(高円寺南一丁目) | 高円寺南1丁目11番9号 | 元禄7年(1694)銘・正徳3年(1713)銘 | 阿弥陀塔・供養塔が3基 | 写真 | |
25 | 民間信仰石塔(阿佐谷北五丁目) | 阿佐谷北5丁目42番11号 | 元禄10年(1697)銘 | 地蔵塔・阿弥陀塔が3基 | 阿佐谷庚申堂と呼ばれている | 写真 |
148 | 民間信仰石塔(天沼一丁目) | 天沼1丁目5番1号 | 元禄11年(1698)銘(駒型)・享保12年(1727)銘(角柱型) | 地蔵塔が1基 | 写真 | |
124 | 民間信仰石塔(天沼一丁目) | 天沼1丁目37番8号 | 宝永元年(1704)銘・元文5年(1740)銘 | 地蔵塔・百番観音供養塔が3基 | 江戸時代中期の典型的型式になっている | 写真 |
152 | 民間信仰石塔(清水二丁目) | 清水2丁目15番7号 | 宝永5年(1708)銘(笠付角柱) | 角柱型廻国供養塔が1基 | 八臂(通常は六臂)の青面金剛で区内では珍しい | 写真 |
125 | 民間信仰石塔(松ノ木二丁目) | 松ノ木2丁目36番15号 | 宝永5年(1708)銘 | 聖観音塔・地蔵塔・馬頭観音塔が5基 | 写真 | |
9 | 庚申塚 | 高円寺北2丁目38番13号 | −− | 正徳6年(1716)高円寺村の講中10人が、悪病退散・村民安全祈願のため建立。阿佐ヶ谷庚申通り商店街のシンボル(写真) | 写真 | |
95 | 享保七年銘道標付庚申塔 | 久我山5丁目9番1号 | 享保7年(1722)造立 | −− | 道標付庚申塔としては区内最古 | 写真 |
113 | 民間信仰石塔(上井草二丁目) | 上井草2丁目17番11号 | 享保7年(1722)造立 | 聖観音塔が1基 | 写真 | |
36 | 民間信仰石塔(久我山一丁目) | 久我山1丁目3番2号 | 安永5年(1776)銘の庚申塔 | 観音塔が1基 | 写真 |
[124]民間信仰石塔(天沼1丁目37番8号) | [95]享保七年銘道標付庚申塔(久我山5丁目9番) | 永福の五輪庚申塔(永福1丁目25番2号) |
後の建物が無ければ江戸時代そのもの | 昔から道路の脇や分岐に置かれていた | 左端に“最古の”青面金剛像庚申塔がある |