(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典:番外)
杉並区を説明するその他の写真
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昔の[85]妙正寺川(妙正寺池辺り) | [157]井草川(上井草2丁目41番) | [121]桃園川(大宮八幡宮の境内) |
(区の標示板)1971年はこんな川だった | (教育委員会)昭和30年代は川で遊べた | (大宮八幡宮)関東大震災以前に思いを |
井草森公園池(井草4丁目12番1号) | 天沼弁天池(天沼3丁目23番1号) | 大田黒公園池(荻窪3丁目33番12号) |
地図に表示される位、大きな池があります | 「天沼弁天池公園」の中の湧き水池です | 自然池ではなく「庭園の池」です |
杉並区の「文化財案内標示板」が掲示されている「坂」 [ ]内が表示板番号 | ||
[119]地蔵坂(善福寺1丁目8番3号、180m) | [131]薬鑵坂(上荻3丁目11番18号、100m) | [146]三年坂(成田西3丁目4番1号、95m) |
「信号機標識に名前」が表示されている | 今では「薬鑵が転がる」寂しさは無い | 「直線で車馬通行困難な急坂」とある |
「上井草碁盤坂」にある「坂」 | ||
すみれ坂(2丁目38番11号、100m) | 広坂(2丁目37番、100m) | 長坂(2丁目25番7号、270m) |
地元民が「独自の標識」を建てている | 「上井草碁盤坂」の中で一番「広い」 | 「たぬき坂」に次いで二番目に「長い」 |
古代の「古墳」なのか、太田道灌時代の「武士の墓」なのか、不明 | 「塚」ではなく「段」(地形が西→東に低くなる際、崖から急激に河床に下る所) | ||
[139]六つ塚跡(高円寺南2丁目36番25号) | 十三塚之碑(和田2丁目18番3号) | [130]城山と七ツ井戸(西荻北2丁目33番9号) | [13]尾崎橋(成田東3丁目17番1号) |
「文化財案内標示板」が掲示されているのみ。高さ4mほどの6塚があった。 | 東円寺の墓地入口に「碑」が建っている。高さ1m前後の塚が13基並ぶ。 | 善福寺川に削られた急崖な舌状の台地があり、源頼義が奥州攻めの折、軍を布陣させたことで城山と呼ばれるようになった。 | 善福寺川へ突き出した台地の先端(小崎)が目立ち、「尾崎」と通称された。今は「尾崎橋」が架かる。 |
四宮交差点(上井草2丁目26番) | 正保公園(井草1丁目32番2号) | 柿木図書館(上井草1丁目6番13号) |
小学校・区民集会場の他、信号機標識にも | 今川家に因んだ正保町(しょうほ)は昭和38年(1963)消滅、公園名にのみ名を残す | 多分、旧「柿ノ木」町の名残り |
[10]井草遺跡(上井草4丁目13番31号) | 井草八幡宮文華殿(善福寺1丁目33番1号) | [140]下高井戸塚山遺跡(高井戸東5丁目23番12号) |
井草式土器(縄文早期、郷土博物館) | 顔面把手付釣手形土器(縄文中期)保管 | 出土した縄文式土器群(中期〜後期) |
和田堀公園大宮遺跡(大宮2丁目24番6号) | [26]松ノ木遺跡(松ノ木1丁目3番22号) | |
柵の中が方形周溝墓(弥生終末期)か | 弥生式土器と勾玉・硝子(郷土博物館) | 復元住居(古墳時代の竪穴住居) |
[5]明星山遍照院医王寺(上高井戸1丁目27番15号) | [110]称光山華徳院長延寺(松ノ木3丁目32番11号) | [6]荻窪八幡神社(上荻4丁目19番2号) | [135]泉涌山医王院龍光寺(和泉3丁目8番39号) |
承和元年(834)空海の東国巡行は疑わしい | 貞観年間(859-)開創されたのは「栃木県佐野市」 | 康平5年(1062)に合祀されたようだが、大宮八幡宮と混同されている | 承安2年(1172)開創と伝えられるのに相応しい佇まい |
[33]阿佐ヶ谷神明宮(阿佐谷北1丁目25番5号) | [2]世尊院正覚寺(阿佐谷北1丁目26番2号) | [117]貴船神社(和泉3丁目22番22号) |
建久年間(1190-)土豪が伊勢神宮の霊石を、阿佐ヶ谷村の鎮守に安置した(伝) | 現在の中野区の宝仙寺が永享元年(1429)頃(室町時代)この地に移転(伝) | 社伝によれば文永年間(1264-75)の創建とあり「水の神」として信仰された |
[56]和泉熊野神社(和泉3丁目21番29号) | [55]堀ノ内熊野神社(堀ノ内2丁目6番6号) | 江戸氏庶流分布図(郷土博物館) |
文永4年(1267)紀州熊野神社の分霊を、和泉村の鎮守に祀った(と伝えられる) | この神社も文永4年(1267)紀州熊野神社の勧請(と伝えられる) | 江戸氏の経緯を説明・展示している |
道灌公園(今川4丁目27番7号) | 道灌橋公園(上井草3丁目14番23号) | [43]下高井戸八幡神社(下高井戸4丁目39番3号) |
どこに本陣を置いたのか推測する「跡」も見当たらない | 道灌橋に近いといえば近いですが、道灌の姿は見えない | 長禄元年(1457)太田道灌が創建した、とある |
[71]永福稲荷神社(永福1丁目24番6号) | [14]宿鳳山高円寺(高円寺南4丁目18番11号) | [88]瑞祥山鳳林寺(高円寺南2丁目39番1号) |
享禄3年(1530)豊受大神を勧請創建 | 弘治元年(1555)中野成願寺3世建室宗正が開山(曹洞宗)、地名「高円寺」の基 | 永禄元年(1558)牛込で開創、「内山賀邸」「金井莎邨」の墓がある |
[59]天沼八幡神社(天沼2丁目18番5号)杉並区HP | [114]普明山西照寺(高円寺南2丁目29番3号) | [78]永昌山宗泰院(高円寺南2丁目31番5号) |
天正年間(1573-)創建、境外末社に厳島神社がある、地元に愛されている | 天正2年(1574)日比谷村で開創、旗本「山村良旺」、書家「佐瀬得所」らの墓 | 天正12年(1584)嘯山春虎和尚が麹町に草庵を開いたのが始まり(曹洞宗) |
[111]正住山福相寺(堀ノ内3丁目48番58号) | [144]村高山栖岸院(永福1丁目6番12号) | [143]祥雲山福寿院(高円寺南2丁目40番5号) |
天正17年(1589)上野下谷で開創(日蓮宗)、俳人「長谷川零余子」夫婦の墓が | 三河の長福寺が天正19年(1591)麹町に移ってきた。丹南藩主高木家の墓がある | 天正19年(1591)四谷箪笥町で開創、浮世絵師「池田英泉」の墓(都指定旧跡) |
[94]報新山宗延寺(堀ノ内3丁目52番19号) | [22]柏邑山松林寺(高井戸東3丁目34番2号) | [79]富聚山長龍寺(高円寺南2丁目31番2号) |
小田原から天正19年(1591)下谷へ移ってきた、「稲葉正休」、「馬場穀里」「足立渓隣」の墓がある | 文禄2年(1593)中野成願寺5世葉山宗朔が開山(曹洞宗)、門前の松は背が高い | 文禄2年(1593)麹町で開創、「長坂血槍九郎家」「山名本家」の墓がある |
[80]万昌山長延寺(和田1丁目44番24号) | [30]清月山覚蔵寺(下高井戸3丁目4番7号) | [97]松苔山峯巌院西方寺(梅里1丁目4番56号) |
文禄3年(1594)市ヶ谷で開創、「今川直房」、「土肥黙翁」、「二宮桃亭」、「鈴木重胤」、画家「木村荘八」など多くの有名人の墓がある | 創建不詳、慶長年間(1596-)日蓮宗で中興、とある、甲州街道沿いに | 慶長2年(1597)または元和3年(1617)四谷で開創(浄土宗)、徳川忠長が開基で格調が感じられる |
[96]遍照山文殊院(和泉4丁目18番17号) | [68]泉谷山大円寺(和泉3丁目52番18号) | [67]石雲山常仙寺(和田1丁目68番11号) |
慶長5年(1600)駿府で開創、歯科医「高山紀齊」の墓がある | 慶長8年(1603)赤坂溜池で開創、上総飯野藩主「保科家之墓」、「佐土原城主島津氏臣戦死之墓」がある | 慶長8年(1603)麹町で開創、国文学者「塩井雨江」の墓がある |
[77]嶺玉山龍泉寺(下高井戸2丁目21番2号) | [1]日円山妙法寺(堀ノ内3丁目48番8号)杉並区HP | [108]応供山等正寺(本天沼3丁目41番7号) |
慶長8年(1603)麹町で開創、詩人「吉原幸子」の墓がある | 元和年間(1615-)開創、江戸初期から杉並に鎮座、写真は祖師堂、詳しくは概観 | 元和8年(1622)湯島で創建(写真は墓地入口)、「3代目都々逸坊扇歌」の墓が |
[81]天長山永昌寺(永福1丁目6番15号) | [99]天羅山養善院真盛寺(梅里1丁目1番1号) | [76]松栄山大法寺(松ノ木3丁目33番19号) |
寛永元年(1624)四ッ谷塩町で開創、江戸時代後期の兵法家「平山行蔵」の墓がある | 寛永8年(1631)湯島で開創、三井の大番頭「三野村利左衛門清為」の墓がある | バス停「大法寺」がある程の古刹(寛永8年(1631)開創)なのに建物は近代的、「市川九女八」、「松亭金水」の墓が |
[90]法真山理性寺(永福3丁目56番29号) | [92]万寿山松応寺(高円寺南2丁目30番1号) | [4]井口山慈宏寺(宮前3丁目1番3号) |
承応3年(1654)内藤新宿で開創、「浜田屋弥兵衛」、「伊庭可笑」らの墓がある | 明暦2年(1656)大松寺(現北区)五世悦州舜喜大和尚が浅草で開創(曹洞宗) | 寛文13年(1673)創建、(名主)井口家の勢いがわかる(概観へ) |
[75]塩硝蔵地跡(永福1丁目2番) | 篠崎家住宅主屋(郷土博物館内) | 江戸時代の高井戸宿想像図(郷土博物館) |
宝暦年間(1751-)の幕府塩硝蔵地跡、今は明大前に標示板を残すのみ(概観へ) | 寛政年間(1789-)に現在の宮前5丁目に建築されたと推定される、詳しくは概観 | 甲州街道高井戸宿を中心に高井堂(街道沿い)医王寺(北)長泉寺(南)がある |
[93]大宮前新田(宮前5丁目5番27号) | 高井戸節成胡瓜(下高井戸4丁目39番3号) | 井荻独活(善福寺1丁目33番1号) |
区立宮前図書館の前に「標示板」が設置されている | 下高井戸八幡神社の中に「標示板」が設置されている | 井草八幡宮の中に「標示板」が設置されている |
杉並第一小学校(阿佐谷北1丁目5番27号) | [123]杉並能楽堂(和田1丁目55番9号) | [54]久我山稲荷神社(久我山3丁目37番14号) |
第一番分校(明治8年(1875)開校)ですが、明治の香りは残っていない | 本郷(明治40年(1907)建造)から、昭和4年(1929)当地に移築された | 古来からの久我山村の鎮守、明治40年(1907)天祖神社と合祀された |
杉並幼稚園(阿佐谷南2丁目4番36号) | 浴風会(高井戸西1丁目12番1号) | 旧滋賀家住宅主屋(下井草4丁目260番2号) |
大正14年(1925)に開園した杉並区最初の幼稚園 | 本館は大正15年(1926)建築(写真)、礼拝堂は昭和2年(1927)建築 | 昭和6年(1931)建築の住宅(国の登録有形文化財) |
杉並浄水場(善福寺3丁目28番5号) | 振武殿弓道場(大宮八幡宮) | 立正佼成会(和田2丁目11番1号) |
小尾嘉郎設計(昭和7年(1932)竣工)の管理棟、場内では現在も地下水を浄水している | 昭和17年(1942)大宮八幡宮「額殿」として建築され、現在は大宮八幡宮振武会の弓道場 | 大聖堂は昭和17年(1942)建築のもの |
気象研究所跡(高円寺北4丁目35番5号) | 角川庭園(荻窪3丁目14番22号) | 早大上井草グランド(上井草3丁目35番21号) |
昭和21年(1946)陸軍気象部から「中央気象台研究部」へさらに「中央気象台気象研究所」になったが、昭和55年(1980)筑波へ移転して、この地は馬橋公園に姿を変えた。 | 角川書店創設者「角川源義」の邸宅(昭和30年(1955)竣工)で国の登録有形文化財。予約すれば茶室の利用もできる。 | 平成14年(2002)東伏見から当地へ移転してきた。 |
郷土博物館分館(天沼3丁目22番1号) | 井草民俗資料館(善福寺1丁目33番1号) | Galleryウレシカ(西荻北2丁目27番9号) |
天沼弁天池公園の中にある | 開館日に気を付けて | 買物の人でしょう、いつも多い人出 |
蚕糸の森公園(和田3丁目55番30号) | Aさんの庭(阿佐谷北5丁目45番13号) | [156]荻窪公園(荻窪2丁目27番) | 杉並児童交通公園(成田西1丁目22番13号) |
歴史を感じさせる門を潜って公園へ | 昭和初期住宅の佇まいを味わえる公園 | 杉並区最古の公園 | 子供が遊びながら交通ルールを学べる |
女子美術大学 | 高千穂大学 | 光塩女子学院 |
本部はここ、多くの学生は相模原で学ぶ | キャンパスに遺跡、古い建物が残る | ミッション系の進学校 |
中央大学杉並高等学校 | 都立西高等学校 | 杉並和泉学園 |
付属校ながら進学校 | 旧「府立十中」校則のない有数の進学校 | 区立の小中一貫校 |
うな藤(今川4丁目8番7号) | 安斎(荻窪4丁目12番16号) | 小満津(和田3丁目62番3号) |
焼き上がりまで待てれば | ミシュランの割には“気軽に”入れる | 予約が必要、予約が無ければ店も閉める |
高橋の酒まんじゅう(天沼3丁目1番9号) | 喜田屋(西荻北3丁目31番15号) | 越後鶴屋(松庵3丁目38番20号) |
売り切れで、午後は開店閉業 | 街の和菓子屋の大福はいかが | 狭い店で多くの人が働いています |
ル・クール・ピュー(荻窪5丁目18番9号) | Amy's Bakeshop(エイミーズ)(西荻北2丁目26番8号) | サンセットクッキーズジャスミン(阿佐谷南3丁目38番36号) |
焼き菓子以外でも洋風惣菜も美味いです | 格調のある店構えです | 駐車場に小さな家を建ててやっている |
キーズ(西荻北4丁目35番5号) | ステカ&モジョル(高円寺南2丁目20番13号) | ターコイス(桃井1丁目2番15号) |
本当に「1枚」でも売ってくれます | 黒縁眼鏡のお姉さんが頑張っています | ドアが「ターコイスBlue」です |
カナム(松庵3丁目38番20号) | いっ久どーなつ(上荻1丁目6番4号) | バームクーヘン工房HANAMIZUKI(高円寺北2丁目10番5号) |
カナムはTakeOut専門 | 「完熟青大豆」も馴れると飽きるか | 表から見えるところで焼いています |
阿佐ヶ谷バードランド(阿佐谷南3丁目37番9号) | 春木屋(上荻1丁目4番6号) | 一本堂(西荻北2丁目11番9号) |
ミシュラン1つ星、焼鳥屋には見えない | 当たり前ですが昼時はいつも行列 | 「食パン専門店」一本堂の「西荻窪店」 |
美しの湯(高井戸西2丁目3番45号) | なごみの湯(上荻1丁目10番10号) | ゆ家 和ごころ 吉の湯(成田東1丁目14番7号) |
環八に面して、井の頭線高井戸駅のそば | JR荻窪駅降りて、すぐに入れます | 住宅街の真ん中にあります |
杉並芸術会館(座・高円寺)(高円寺北2丁目1番2号) | 杉並公会堂(上荻1丁目23番15号) | セシオン杉並(梅里1丁目22番32号) |
建物にも劇団の勢いを感じる | 最近の公会堂はどこも立派になった | 教育関連の施設らしく賑わしさはない |
明石スタジオ(高円寺南4丁目10番6号) | ミニシアターユジク(阿佐谷北2丁目12番19号) | 荻窪小劇場(荻窪3丁目47番18号) |
小屋なのか、2018年末閉業した | 看板を見るとついそそられる | 小劇場の割には大きい |
四面道(しめんど) | 八成(はちなり)区民集会場(井草1丁目3番2号) | 神戸坂(ごうどざか、清水3丁目19番10号) |
昔から十字路だった交差点(現在は「環八」と「青梅街道」が交差)でかつては四面の常夜燈があった。今は「しめんどう」と普通に読む | 下井草附近の旧町名、現在も「地域名」で区民集会場・公園などに名を残し「八成まつり」も行われる。「はっせい」「やなる」ではない | 「神戸」を「ごうど」と読む場所は意外と多い。昭和40年(1965)旧「神戸町」は消えた |
下高井戸庚申堂(下高井戸5丁目5番27号) | [126]民間信仰石塔(久我山4丁目50番6号) | [22]松林寺の庚申塔(高井戸東3丁目34番2号) | [35]民間信仰石塔(宮前1丁目17番25番) |
分岐道に堂々と祀られて、付近の商店街は庚申商栄会と言うくらい立派な「庚申堂」です。でも年代など詳細は不明 | 久我山六地蔵通りのお堂に集められた寛文5年(1665)銘の地蔵菩薩像(古い形の庚申)、脇に六地蔵も | 延宝2年(1674)銘・天和3年(1683)銘(写真)の庚申塔が3基、その他、観音石塔・六地蔵など多く並んでいる | 五日市街道沿い、扉を開けると中に延宝6年(1678)銘の青面金剛像が見られます |
[81]永昌寺門前の庚申塔(永福1丁目6番15号 ) | [67]常仙寺の庚申塔(和田1丁目68番11号) | 椿の庚申様(善福寺1丁目34番) | 権現みち庚申塔(阿佐谷南1丁目34番10号) |
4基の庚申塔が並んでいるが、写真の青面金剛像は延宝6年(1678)銘で一猿と珍しい | 近くから集められたのか延宝8年(1680)銘の庚申塔(左端)の他、六地蔵(右端)なども | 貞享3年(1686)の頃から地元民に愛されているのか「椿」の愛称が付けられている | パールセンター(旧権現みち)商店街の中に元禄4年(1691)銘の青面金剛像(右)が置かれている |
郷土博物館前の庚申供養塔(大宮1丁目20番8号) | [65]民間信仰石塔(高円寺南1丁目11番9号) | [25]民間信仰石塔(阿佐谷北5丁目42番11号) | [148]民間信仰石塔(天沼1丁目5番1号) |
元禄6年(1693)の刻・神の使い「三猿」もよくわかる(久我山3丁目14番からの移転) | 神様になったか、鳥居で祀られた元禄7年(1694)銘の庚申塔(環七通り沿い) | 多分杉並で一番大きなお堂(通称:阿佐谷庚申堂)に祀られている(元禄10年(1697)) | 地蔵信仰が習合して赤前掛けが掛けられた元禄11年(1698)銘の駒型庚申塔 |
[152]民間信仰石塔(清水2丁目15番7号) | [125]民間信仰石塔(松ノ木2丁目36番15号) | [9]庚申塚(高円寺北2丁目38番13号) | [113]民間信仰石塔(上井草2丁目17番) |
宝永5年(1708)銘「八臂の青面金剛像」(右、通常は六臂) | 通称法華墓に宝永5年(1708)銘の庚申塔(中央)、左端に馬頭観音が置かれている | 阿佐ヶ谷庚申通り商店街の店前に鎮座する正徳6年(1716)建立の庚申塔 | 「遅野井村」(上井草村の古称)の銘文がある(享保7年(1722)、左) |
上井草4丁目の庚申塔(上井草4丁目4番24号) | 下井草3丁目の庚申塔(下井草3丁目28番1号) | [37]民間信仰石塔(井草2丁目24番6号) | [36]民間信仰石塔(久我山1丁目3番2号) |
元文3年(1738)銘の青面金剛像。早稲田通りの標示板には、庚申塔とある | 毎日の散歩道にある寛保元年(1741)銘の青面金剛像(笠付角柱型、道標付き) | 寛保元年(1741)銘の庚申塔、とある。地元の人は八成の庚申堂と呼んでいる | 安永5年(1776)銘の庚申塔、右は如意輪観音坐像(享保15年(1730)銘) |
[134]お伊勢の森(阿佐谷北5丁目45番) | 山手ハリストス正教会(宮前3丁目28番10号) | 都立農芸高校(今川3丁目25番1号)の馬場 | 仏像彫刻教室 微笑庵(阿佐谷南2丁目11番32号) |
神話(景行天皇44年(114)に日本武尊が蝦夷征伐凱旋時、ここで休息)を信じれば、杉並区で最も古い記録に残る場所になる | ギリシャ正教会(ニコライ堂との関係が私にはわからない)、麹町(明治9年(1876)設立)からこの地へ、聖堂は昭和45年(1970)改築 | こんな所に馬場がと思ったら、農芸高校(都立で唯一馬術部がある)の「馬術訓練場」でした | 京都でなく、東京にもあるとは驚きです |