光明峰
(INDEX)
独断評価 | 発見難易度 | 登頂体力度 | 頂上眺望度 | 山行愉悦度 | 総合評価 |
5点満点 | ★★★★ | ★★★ | ★★ | ★★★ | 2.6 |
- 山頂の特定(地図)
- 韓国中高校正門左の道を進み孝明天皇後月輪東山陵柵沿いの山道に入り、南東に巻く山道を進むとやがて右手に小高い山が現われる。30畳ほどの台地になっており、台地中央の松の木あたりが山頂と思われる。
- 韓国中高校からのルートはわかりやすいが、若干微妙。
- 即ち、後月輪東山陵柵沿いの山道へ入るところには宮内庁の「立入禁止札」が立っている。山道の北側が立入禁止なのか、山道全体が立入禁止なのかよくわからない(恵日山を参照)。
- 山道にはオリエンテーリングの標識が見られるので、登ってもよいのだろう。この山道を使ってよいのなら、このルートがベスト。
- 登頂には難があるが、東山トレイルの先にある絵具谷道からも登ることができる(登頂記録の項参照)。
- 斜面に取り付く地点としては、絵具谷道を下りてきて「流量測定器」を過ぎて三ノ橋川を跨ぐ小橋の手前あたりがよさそう。
- 斜面(登山道ではない)を攀じ登れば、韓国中高校と恵日山を繋ぐ杣道に出る。
- 山頂を示す印になるようなものはない。
- 木が生い茂っているので眺望はないが、木々の間から北西方向に韓国中高校のグラウンド、その先に京都タワーが見える。
- 登頂記録
- H15- 9- 6、東山トレイルから本多山の南斜面(登山道ではない)を攀じ登って登頂した(初登頂)。
- H15-11-22、「登山ルート」に示すルートを開拓した。
- 山頂から南東方向に進む杣道を辿れば、恵日山へ出られる。
- 光明峰
- 「花洛名勝図会」には「光明峯寺は毘沙門谷(現在の今熊野南谷町、三ノ橋渓谷)にあった、この地の峰を光明峰と云う」とある。
- 「昭和京都名所圖會」(竹村俊則著)にも「光明峰寺の位置については明かにしないが、九条兼実(1207没)廟に近い地であったと推定される」とある。
- 現在の兼実廟は東福寺最勝金剛院(昭和46年(1971)再興、三ノ橋渓谷のすぐ南)奥の八角堂にあたる(標高63m程)。
- したがって光明峯寺自体は毘沙門谷一帯に建立されたと考えてよいであろう。
- 「光明峰はこの地の峰」とあるから毘沙門谷近くの峰らしきところを探すと、九条陵・月輪南陵のある本寺山(92m)、韓国中高校のある本多山(125m)、稲荷山北西稜の標高点(145m)がある。
- 九条陵は仲恭天皇(1234没)・月輪南陵は藤原聖子(きよこ、1181没)の墓、没後すぐに陵墓ができたのなら、本寺山=光明峰の可能性はなくなる。
- 稲荷山北西稜の標高点(145m)は常識的に考えて稲荷山の一支峰。
- となると残るは、韓国中高校のある本多山(標高点(125m))しかなくなる。
- 新たな事実が見つかるまで本多山を光明峰としておく。
- この特定によれば現在の韓国中高校の背後にある小高い山ということになる。
- 泉山のある「今熊野泉山町」は広く、恵日山に引き続いてこの光明峰も「今熊野泉山町」にある。
- 結局、泉山・恵日山・光明峰はすべて「今熊野泉山町」にあることになる。
- 3山とも宮内庁の管理下にあるのか。登頂はしたものの、本当は入山禁止なのかもしれない。
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東福寺最勝金剛院(奥の八角堂) |
九条陵・月輪南陵のある本寺山(92m) |
- 光明峯寺
- 摂政関白九条道家が東福寺の東に造営した。このことから九条道家は光明峯寺殿・峯殿と称された。
- 九条道家は建長4年(1252)60歳でこの寺で薨じた。
- したがって東福寺造営中に(発願・嘉禎2年(1236)〜開山・建長7年(1255))、光明峯寺も造営されたと考えられる。
- 九条家の文書には「五重塔もあり、東西の回廊は各280mもある大きな寺」とあるが、同時期造営のためか東福寺の記述と混乱している。
- 応仁の乱の折り(応仁2年(1468))山名軍によって東福寺とともに焼き払われた(その後再建されていない)。
- 近くの仏閣神社
- 光明院
- 東福寺の塔頭。「東山(とうざん)苔寺」と通称される。明徳2年(1391)金山明昶の開基と言われている。光明峯寺とは無関係。
- 庭園(「波心の庭」)は、昭和を代表する庭園家重森三玲(しげもりみれい)の作。JR東海のCFにも使われた。
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光明院の「表門」 |
境内に咲く「桔梗」 |
- 雍州府志での記述
- 光明峯
- 東福寺山(未定義)の東、泉涌寺山(これも未定義)中の南に在る。
- (注)「東福寺山の東」ではなく「西」の間違いではないか。「泉涌寺山中の南」とは「泉涌寺山の南」と解釈してよさそう。
- 昔日ここに九条道家が葬られ、その上に毘沙門堂が建てられた。今は(江戸時代には)その跡が存するのみ。
- (注)毘沙門堂は応仁の乱で焼き払われた。現在ではその位置も不明。
- 東山国有林風致計画での記述
- 光明峯
- 東福寺の東にある。九条家廟所のあるあたりと云う。
- (注)現在の九条家廟所の標高は63m程でとても山とは見えない。調査したとは思えない。
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韓国中高校左の道から天皇陵沿いに進む道 |
杣道から小高い台地の山頂へ入る道 |
山頂(台地中央の松の木あたり) |
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山頂から見る韓国中高校グラウンド |
絵具谷道から取り付く斜面 |
東山トレイルから見る光明峰(本多山) |