茶山
(INDEX)
独断評価
発見難易度
登頂体力度
頂上眺望度
山行愉悦度
総合評価
5点満点
★★★
★★★
★
★★
2.2
山頂の特定(
地図
)
京都芸術大学顕心館の右脇(十三重塔のない方)の石段を登り続けると、ゴルフ練習場の奥部に出る。さらに進んで瓜生山への三叉路を右にとると
南へ向かって100mほどなだらかなピーク状の丘陵が続く
。標高的にも2〜3m昇降する程度で際立ったピークはない。この
丘陵全体が山頂
と考えてもよい。
瓜生山への
三叉路から15mほど南へ行ったところ
に、西側に市街の風景が若干開ける猫の額ほどのピークがある。ポイントとしてはこの地点
を山頂
とした。
種本にはゴルフ場の奥部が山頂とあるが、上述のとおり進むにつれて高くなっていくので山頂とは言い難い。
瓜生山への三叉路からさらに南へ(北白川山へ向かって)下りたところに、石標(三十の印がある)の埋められた開けた場所がある。山頂とも見紛うが、上記ポイントからかなり下りた地点なので、高さの点で山頂とは言い難い。
カシミールでの標高は168m(そのベースとなっている数値地図では169m)、1万分の1地形図では180mくらいある。数値地図がおかしいと判断して
地形図の標高180mを採用
した。
登頂記録
H15-1-25初登頂。山頂探索を目的に登頂した。
「東山三十六峰ハイキングコース」
に示したとおり、南側にある上終町の住宅街からも登れるし(北白川山からの登り道)、瓜生山から降りてもこられる。
茶山
「新撰京都名所圖會」(竹村俊則著)では「勝軍地蔵のある舊丸山の
北に接する南北四丁ばかりの一丘陵が茶山
」であると明記している。
さらに「この山の西麓に
茶屋四郎次郎
の別荘があり、茶屋の本名中島情延に因んで情延山とも茶山ともよぶ。この山荘は荒廃し、往時をしのぶものはみられない。」と記述している。
同書の地図には「位置的には丈山墓の南、緯度的には茶山駅より少し南」に描かれている。
現在では
京都芸術大学学舎の背後に控える丘陵のようななだらかな山
と言うのが適当と思われる。
低い山なので、京都芸術大学の傍まで来ないと山姿は見えない。
現在このへんで茶山と呼ばれるものはなく叡山電鉄の駅名に「茶山駅」を残すのみである。
上述の「茶屋四郎次郎」の別邸が駅近くにあったことから、駅名として「茶山」という名前が残ったらしい。
町名も瓜生山で「北白川瓜生山町」にある。
近くの観光地
石川丈山墓
詩仙堂
の東南350mの小山(舞楽寺山の名がある)の上にある約2.5mの自然石。
都名所図会(安永9年(1780)、下の図)によれば「頑仙祠
(がんせんし)
と号す」とある。丈山は寛文12年(1672)に没し、正保2年(1645)に築いた寿墳(頑仙祠)に葬られた。
「墓」
(ともに撮影:宮下)
墓を示す石標
(後方に墓)
左端
詩仙堂
(から南)
の右少し上に「
頑仙祠
(石川丈山墓)
」が描かれている
(国際日本文化研究センター/データベースから)
。
近くのスポット
京都芸術大学
学園祭は「瓜生山祭」と言う。瓜生山の方が高くて目立つからか、瓜生山町にあるからか。
それほど「茶山」という名前は使われていない
。
雍州府志・東山国有林風致計画での記述
なし
雍州府志にも東山国有林風致計画にも「茶山」の名前は出てこない。
東山三十六峰の姿を形成するためにもこの辺の位置に山が欲しい
。種本が「茶山」を東山三十六峰に加えたのはよく理解できる。
茶山頂から瓜生山を見る
京都芸術大学
越しに見る茶山
茶山頂
京都芸術大学顕心館の右脇の石段
登山路にあるゴルフ練習場
瓜生山への三叉路