(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
東山三十六峰
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東山三十六峰は
京都を代表する自然である。
この自然・景観は、大昔からあったのではなく、
先人の努力で創造され、現在の市民の努力で維持されている
のである。
【梅棹事典からの一部引用】
京都盆地の東につらなる山々を東山という
。・・・比叡山から伏見の稲荷山までの約12キロに、およそ三十六の峰があるという。・・・北端の比叡山を別格として、あとはピークともよべないほどのなだらかなたかみがつらなっている。いま東山は、うっそうたる木々におおわれて・・・
りっぱな森になっているが、これは京都市民の中世からの営々たる努力の結果なのである
。
【梅棹事典からの一部引用−その2:
山紫水明
】
京都をおとずれるひとはみな、
京都は
山紫水明
の都
とかんがえている。江戸時代、大阪うまれの儒学者、頼山陽が鴨川のほとり東山をのぞむ地に庵をむすび、「山紫水明処」と名づけて閑居したこともあってか、京都の清浄さが、もともとそうであったようにおもいこんでいる。しかしそれはたいへんなおもいちがいである。・・・京都周辺の山は
室町時代の末期には丸坊主であったといわれ、以降数世紀にわたる保護育成で現在の姿になった
。
【梅棹事典からの一部引用−その3:
風致地区
】
歴史性ゆたかな自然的風趣をたもつために、京都市には風致条例がさだめられている。・・・
市域の四分の一にもおよぶ地域が風致地区に指定され
、樹木の伐採、現状変更や建築行為にきびしい制限がくわえられている。・・・たとえば鴨川端、東山一帯では、たかさはもちろんのこと、建物のデザインなど、こまかな部分にまで規制され、
景観の保存に力がそそがれている
。
東山三十六峰のイメージ。
(初夏の頃をイメージしたCG)
左端の高みが比叡山、中央の高みが
大文字山
、そして右端が稲荷山
(航空写真で見る全体のイメージ)
三角形、上から
比叡山(最北端)
大文字山
華頂山(切れている南山系の最北端)
稲荷山(最南端)
矢印が指すのが、吉田山(少し離れた山系)
右端が「琵琶湖」(滋賀県)
【私説】
東山三十六峰は
別のPage
に詳しい。
三十六峰の一覧はこちら
ここで最も強調したいのは、
元々から緑に溢れていたわけではなく、先人の努力でこの自然・景観が残された
、ということである。
近世になってからでは、昭和11年大阪営林局が東山国有林の森林景観創造を目的に風致計画を策定して、現在もなお計画実行中である(「
東山国有林風致計画
」の概要は同HomePageに掲載してある)。このお陰で東山三十六峰も緑がなくなるのを防げている。
ただ最近は下草刈りなどを怠っているようで一部に衰微が始まっている。私も先人の努力を無にしないよう市民として努力したい。
風致規制も継続的に行われている。
私の家も風致地区にあり、高さ10m以上の家は建てられないし、建築に際しては市長の許可が必要になる。現在風致地区は5種類に細分され、細かく規制されている。屋外広告物の規制もある。
この他に自然環境を保全するために、歴史的風土特別保存地区、近郊緑地特別保存地区、自然風景保全地区の規制もある。
最近では「京都市伝統的景観保全に係る防火上の措置に関する条例」を制定(H14年)するなどして「
町屋
再生」も進み出した。これも景観保全の一環として評価したい。
さらに市街地景観を保全するために、美観地区、建造物修景地区、伝統的建造物群保存地区(産寧坂、祇園新橋、嵯峨鳥居本、上賀茂の4地区)の規制もある。
【補足:山紫水明】
「山紫水明」は必ずしも「京都」に掛かる枕詞ではない
。
「山紫水明の町」と謳う町は全国あちこちにある。京都だけの専売ではない。
「山紫水明」は
「
日に映じて、山は紫に、澄んだ水は清くはっきりと見えるさま
」のことで、
形容句
である。
したがってこのような状況にある町を「山紫水明の町」と呼ぶことに差し支えはない。
上述したごとく、江戸時代に頼山陽が鴨川のほとり東山をのぞむ地に庵をむすび
「山紫水明処」
と名づけて閑居したこともあって、京都と山紫水明が強く結びついたに過ぎない。
京都中華思想
によれば、「山紫水明の町の先達は京都である」と主張することになる。
「山紫水明」は形容句であるから、
場所に限らず「時刻」をも形容する
こともある。黒田正子著「京都語源案内」(光村推古書院)では、この使い方こそ本来の使い方であると主張されている。
「
山紫水明の頃
」(日に映じて、山が紫に、水が清くはっきりと見える時刻)
にお出でください
と招待する心持ちは床しい。