往生極楽の教えや修行は、この汚濁に満ちた末代の人々を導く目や足であります。 だから僧侶も俗人もだれ一人としてこれに帰依しない者はいません。しかし顕教と密教の教えは複雑であり、その修行もさまざまで簡単ではありません。仏の相好や浄土のさまを観想する事観や、仏を普遍的真理そのもとと考えてこれと一体になろうとする理観といった修行がありますが、知力が優れよく精進する人には易しいことかもしれませんが、私にような頑迷な者にはそれがどうして可能でありましょうか。 こういうわけで、念仏という限定された教えについて、ほんの少しですが経論の要文を集めました。これを披きこれによって修行するなら、理解しやすく修しやすいと思います。 | |