(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
本町
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東山区の
本町は広い
。北は五条通から南は十条通を越えて京阪伏見稲荷駅まで、南北に約3kmある。その概要を調べてみた。
本町の構成
本町は、本町一丁目〜二十二丁目とある。
「本町x丁目」を1つの町と見做すこともできる。町内活動はこの「小町」単位でないとやりにくい。
当初は「一丁目〜十丁目」までだったが、明治2年(1869)東福寺門前の町
(例:一之橋町、三聖寺前町)
が「本町十一丁目〜二十二丁目」に改称した。
さらに他の町が「本町新五丁目」「本町新六丁目」に改称した。
全部で「24個」の「小町」から構成される。
本町の全体図
「1」
滝尾神社
、万寿寺、東福寺駅
「2」
法性寺
「3」
東福寺
「4」
月輪南陵
本町通との関係
本町は南北に長い町になっていて、その中央を
本町通が貫いて
いる。
と言うより、本町は元々本町通の
両側町
としてできた。
片や「
本町通は
伏見街道
の一部区間の名称
(五条通〜墨染通)」であり、「本町という名前」は「通り名が先か、町名が先か」よくわからない。
狭義には、伏見街道の「本町一丁目(五条通)〜同二十二丁目(京阪伏見稲荷駅)」の区間を
本町通
と呼び
伏見街道の「深草直違橋十一丁目(JR稲荷駅)〜同一丁目〜直違橋片町(藤森神社)」の区間を
直違橋通
と呼ぶこともある。
本町にある主な施設
「本町一丁目〜十丁目」に目立った施設はない。
滝尾神社(本町十一丁目):創建由緒不明。もとは東大路五条あたりの「武鵜社」(たけのうやしろ)、応仁の乱後「多景社」(日吉坂)へ、さらに天正16年(1588)豊臣秀吉の
方広寺大仏殿建立
で現在の地へ移転してきた。
東福寺駅(本町十二丁目、JRおよび京阪)
万寿寺
(本町十五丁目)
東福寺
(本町十五丁目、多くの塔頭を持つ、通天橋も)
月輪南陵
(本町十五丁目)
法性寺
(本町十六丁目)
上の地図に見える
仲恭天皇陵
は「深草本寺山町」になる。
滝尾神社
京阪東福寺駅
大丸百貨店の創業者下村彦右衛門がお参りをしていた。社殿・拝殿の「龍の彫り物」は有名で、辰年の干支神社になっている
踏切に立つと、東側に京阪、西側にJRの線路・駅舎が見える(撮り鉄の一等地)
総括
本町は「
本町通の両側町として発生し、東福寺を抱え込んだ町
になった」と総括できそうです。
結果として、南北に長い町になった。