(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
光厳天皇
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持明院統(北朝)は赤枠 大覚寺統(南朝)は青枠 南北朝の合一(100後小松)以降は黒枠で表示する 天皇名の前は「代数」(北朝は北朝内連番) 「天皇・上皇」は省略する 天皇名の下は「在位西暦」 |
北朝 | 光厳天皇の山国陵 | 光明・崇光天皇の大光明寺陵 | 後光厳・後円融天皇の深草北陵 |
常照皇寺内にある。宮内庁の制札に「光厳天皇山国陵」と明記されている。髪塔は南朝「龜山陵の近く」にある | 埋葬された「大光明寺」は木幡山伏見城築城で破壊。元治元年(1864)この地を陵と治定し、正閏問題以前に整備された | この陵はかつて深草十二帝陵と呼ばれ、69後深草以降の「持明院統」の12人天皇の陵。北朝の天皇も含まれている | |
南朝 | 96後醍醐天皇の塔尾陵 | 97後村上天皇の檜尾陵 | 98長慶天皇の嵯峨東陵 |
赤二重丸=塔尾陵(奈良県吉野山) 赤四角=光厳院が幽閉された賀名生(20万分の一) | 赤二重丸=檜尾陵(大阪府観心寺) 黄二重丸=光厳院が幽閉された天野山金剛寺(5万分の一) | そもそも大正15年(1926)歴代天皇に加えられた天皇で、陵も昭和19年(1944)治定された。真偽のほどは大いに疑問 |