(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

光厳天皇           (INDEX:索引へ)


後醍醐天皇が内裏から脱出し笠置山に潜幸したことで、次の天皇として践祚・即位した「光厳(こうごん)天皇」(および光厳を始めとする北朝の5人の天皇)
明治末期「大日本帝国」によって歴代天皇(皇統譜)から外された(「日本国」になった現在でもなお外されたまま)

どのような天皇であったか調べてみた。

    南北両統迭立期の状況    光厳天皇の生涯    歴代天皇(皇統譜)から外された経緯    光厳天皇の遺戒
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clickすれば大きな画像 持明院統(北朝)は赤枠

大覚寺統(南朝)は青枠

南北朝の合一(100後小松)以降は黒枠で表示する


天皇名の前は「代数」(北朝は北朝内連番)
「天皇・上皇」は省略する
天皇名の下は「在位西暦」
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北朝光厳天皇の山国陵光明・崇光天皇の大光明寺陵後光厳・後円融天皇の深草北陵
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常照皇寺内にある。宮内庁の制札に「光厳天皇山国陵」と明記されている。髪塔は南朝「龜山陵の近く」にある埋葬された「大光明寺」は木幡山伏見城築城で破壊。元治元年(1864)この地を陵と治定し、正閏問題以前に整備されたこの陵はかつて深草十二帝陵と呼ばれ、69後深草以降の「持明院統」の12人天皇の陵。北朝の天皇も含まれている
南朝96後醍醐天皇の塔尾陵97後村上天皇の檜尾陵98長慶天皇の嵯峨東陵
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赤二重丸=塔尾陵奈良県吉野山)
赤四角=光厳院が幽閉された賀名生(20万分の一)
赤二重丸=檜尾陵(大阪府観心寺)
黄二重丸=光厳院が幽閉された天野山金剛寺(5万分の一)
そもそも大正15年(1926)歴代天皇に加えられた天皇で、陵も昭和19年(1944)治定された。真偽のほどは大いに疑問
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