(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
鴨川に架かる橋(四条大橋まで)
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「丸太町橋」のたもとに立っている「鴨川に架かる橋」の案内図。 この表記は「私の定義する鴨川」とは異なり、私の定義によれば「賀茂川・鴨川に架かる橋(御池大橋まで)」の案内図となる。 |
柊野堰堤 | 庄田橋 | 志久呂橋 | 賀茂川通学橋 | 西賀茂橋 | 御薗橋 | 上賀茂橋 | 北山大橋 | 北大路橋 | 出雲路橋 | 葵橋 | 出町橋 |
「賀茂大橋」(今出川通) 石製「高欄」は“灯籠”風で、夜には火が灯り、鴨川に架かる橋の中で最も美しい。 五山の送り火のときは、橋の東に大きな「大の字」が見える。 |
「飛び石」 「亀石」など遊び心が配置されている。そのせいか、観光客・恋人たちも多く、私どもには渡り難い。 鴨川には「飛び石」が2ヶ所ある。賀茂川にもある。(先頭へ) |
「荒神橋」(近衛通、くわう志んばし) 「親柱」の「刻銘」には目が惹かれる。 「一条通」「中立売通」「長者町通」相当の位置には橋が無いので、「賀茂大橋(今出川通)」か「荒神橋(出水通/近衛通)」へ廻る必要がある。 |
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「丸太町橋」(丸太町通) 今出川−丸太町間には橋が少ない。この間の橋は覚えておかないと生活できない。 「下立売通」「椹木町通」相当の位置には橋が無いので、「荒神橋(出水通/近衛通)」か「丸太町橋」へ廻る必要がある。(先頭へ) |
「飛び石」 「竹屋町通」「夷川通」相当の位置には橋が無いので、「丸太町橋」か「二条大橋」へ廻る必要がある。 (冗談)回り道する時間が無い時は、写真のように、この「飛び石」を渡る、という手もある。(先頭へ) |
「二条大橋」(二条通) 「二条大橋」は人も車も少なく渡橋しやすい 橋の西側にはリッツカールトンホテル(写真)などの名店が並ぶ。 |
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「御池大橋」(御池通) 「御池大橋」は車線数が多く自動車のためのような橋。渡る人は排気ガスに気をつけたい。 「押小路通」相当の位置には橋が無いので、「二条」か「御池」へ廻る必要がある。 |
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「三条大橋」(三条通) 「擬宝珠」は時代を感じさせる。「三条大橋」は観光客が多く、人にぶつかりやすい。 「姉小路通」相当の位置には橋が無いので、「御池」か「三条」へ廻る必要がある。 |
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「四条大橋」 「四条大橋」はいつも人出が多く、渡り難い。 「六角通」「蛸薬師通」「錦小路通」相当の位置には橋が無いので、「三条」か「四条」へ廻る必要がある。(先頭へ) |
都名所図会(安永9年(1780)、国際日本文化研究センター/データベース)に描かれている江戸時代の橋 | |
「三条大橋」(図では左上隅が西、右から左へ流れる) 「三条小橋」(図左上隅)も描かれている 「三条通」には(今と同じように)店が並んでいる |
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「四条大橋」(図では上が東、左から右へ流れる) (今よりも)「四条河原」が広く、河原に多くの店が出ているので、「四条大橋」は(2つに分かれていて)大きく見えない 東詰(図では中央上)には「芝居」小屋が描かれている。今の「南座」であろうか |
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「五条大橋」(図では右上が西、右から左へ流れる) 豊臣秀吉が架け替えた今の位置にある(松原通の北)。西詰には首途八幡宮が描かれている(この頃はこの位置にあったのか、よくわからない) 欄干には「紫銅擬宝珠」左右に16本あり、との説明がある |
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「七条大橋」(図では左が西、右から左へ流れる) 西詰にある「松明殿稲荷神社」が(伏見稲荷大社の)稲荷祭のとき、松明を燃やして(図では東詰)神輿を迎える図が描かれている 橋に欄干(手すり)がなく、2本架かっているのは、祭のためか (先頭へ) |