(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

賀茂川に架かる橋           (INDEX:索引へ)


「鴨川に架かる橋」についてはこちらにまとめた鴨川と賀茂川で説明したように、鴨川の北側に賀茂川が伸びている。
その北側の「賀茂川に架かる橋」についてもまとめてみた。

clickすれば大きな画像 「丸太町橋」のたもとに立っている「鴨川に架かる橋」の案内図。

この表記は「私の定義する鴨川」とは異なり、私の定義によれば「賀茂川・鴨川に架かる橋(御池大橋まで)」の案内図となる。

以下「賀茂川」に架かる橋(北から)    (索引)    志久呂橋    御薗橋    飛び石    葵橋
clickすれば大きな画像 「高橋」

上に掲載した「京都府の案内図」には描かれていないが、市バス(令和5年(2023)現在)で北上すると、バスは「高橋」まで行くので、ここでは「高橋」も記載することにした。

大分山間の橋のように見えるが、市バスはこの橋を渡る。
clickすれば大きな画像 「柊野堰堤」

昭和15年(1940)完成の「砂防堰堤」。賀茂川を洪水から守っている。渡れないので「橋」とは言えないかも、でも案内図に載っている。

背後に見えるのは神山。「ひいらぎの」ではなく「ひらぎの」と読む。
clickすれば大きな画像 「庄田橋」

すぐ奥に「柊野堰堤」が見える=「柊野堰堤」から近い。
橋の右手が「上賀茂」、左手が「西賀茂」。橋はその2つを繋ぐ「生活橋」になっている。

「高橋」〜「庄田橋」は「バーベキュー禁止区域」に指定されている。(先頭へ
clickすれば大きな画像 志久呂橋(しくろ)

市バスも以前はここまでしか北上しなかった。市バスは当然この橋を渡る。「東詰」にも「西詰」(左手)にもバス停がある。
「西詰」バス停があるのは加茂街道
clickすれば大きな画像 「賀茂川通学橋」

歩行者専用の橋、そのため「幅も狭い」。
昭和55年(1980)賀茂川東岸に「柊野小学校」が開校されるに伴い、賀茂川西岸の児童が「遠回りせず」に登下校できるよう架橋された。
clickすれば大きな画像 「西賀茂橋」

(1つ北の)志久呂橋と(1つ南の)御薗橋の間は「1675m」あり、この間に橋がなく、御薗橋が渋滞していた。これを解消するため平成3年(1991)架橋された。この橋のすぐ西(手前)に「西賀茂車庫前」バス停がある。(先頭へ
clickすれば大きな画像 御薗橋猪熊通

「御薗橋西詰」と「加茂街道」の交差点(写真)に架橋されていて
「東詰」(奥)上賀茂神社に近い。上賀茂神社行きのバスは必ずこの橋を渡る。
「西詰」(手前)御薗橋801商店街に繋がる。

上賀茂神社へ向かう葵祭の行列が渡る。
clickすれば大きな画像 「上賀茂橋」玄以通、上賀茂神社には少し遠い)

「東詰」(奥)菖蒲園町に繋がる。

新町通の北端にあたる「西詰」(手前)には、上御霊神社の御霊祭で神輿が巡行してくる。
clickすれば大きな画像 北山大橋北山通

名前のとおり大きな橋で、北山通の一部を構成している。
「西詰」(右手)室町通の始点にもなっている。
「東詰」(左手)に見えるのは「土木事務所」。その先に「植物園の賀茂川門」がある。(先頭へ
clickすれば大きな画像 「飛び石」

かもがわ」の最上流にある飛び石です。

(1つ北の)北山大橋と(1つ南の)北大路橋の間は「約900m」あるので、この「飛び石」を利用する地元民は多い。

「東岸」(右手)は「半木の道」。
clickすれば大きな画像 北大路橋北大路通

「欄干の灯籠」が立派で、これだけですぐに「北大路橋」とわかる。橋の上から大文字が見える。

北大路通の一部を構成している。
clickすれば大きな画像 「出雲路橋」鞍馬口通

昔の鞍馬街道に架かっている。旅人は比叡山を見ながら京都から離れた。

「西詰」(手前)鞍馬口通になっている。
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clickすれば大きな画像 「葵橋」河原町通

「東詰」(奥)下鴨神社、京都家庭裁判所。

親柱」には「鴨川」でなく「きちんと賀茂川」と書いてある。

「西詰」(手前)河原町通の始点になっている。
clickすれば大きな画像 「出町橋」

桝形商店街下鴨神社を繋ぐ橋。

現在、下鴨神社へ向かう葵祭の行列が渡る。

「西詰」(手前)鯖街道の起点とも。(先頭へ