(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
宇治陵
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京都府宇治市に「平安時代の藤原氏一門の陵墓」が固まってあり『宇治陵』と呼ばれている。その概要を調べてみた。
宇治陵の概要
JR奈良線
「木幡駅」の東側に「藤原氏一門の陵墓」が拡がっている。
藤原基経
が「藤原氏一門の埋骨所」に定め、
その後、
藤原道長
が近くに「木幡寺」
(今は無い)
を建立し「
藤原北家
の菩提所」とした。
全体で300個以上の陵墓があると考えられているが、
現在は
宮内庁
が「37個」を
(藤原氏一門と思われる墓を選定)
管理しており
(天皇陵並み)
、それぞれ1号墳から37号墳までの番号を付けた。
「23号墳」などは「90個余りの墓」を一括して「一つの墳」としている。
陵墓の被葬者は特定されていない
(どの墓が誰の墓かは明示されていない)
。
1日で「見て廻る」のはかなり大変。
宇治陵の全体図
「印」が37個の墳。
「赤二重◎」=1号墳、総拝所
「赤△」=32号墳
「黄二重◎」=34号墳
「赤二重□」=35号墳
「黄二重□」=36号墳
文字「宇治陵」の左の「赤○」が
23号墳
誰が埋葬されているか(1)
総拝所の手前にある「藤原氏塋域
(えいいき)
の石碑」に「8人の名前」が刻されている。
閑院贈太政大臣
冬嗣
(34号墳)
昭宣公関白
基経
(36号墳)
本院贈太政大臣
時平
(35号墳)
法興院摂政
兼家
南院関白
道隆
法成寺関白
道長
(32号墳)
宇治関白
頼通
後宇治関白
師実
刻されているのは「男ばかり」。上の括弧内は「推定されている陵墓」。
1号墳、総拝所
「藤原氏塋域」の石碑
総拝所にある「制札」
昔は
小栗栖の陵
と呼ばれていた
(らしい)
道端に建っている。読むのは難しい
これも字が細かくて読みにくい
誰が埋葬されているか(2)
総拝所にある「宮内庁の制札」に「20人の名前」が書かれている
(皇后・中宮に関して、宮内庁と一般歴史家との間には認識の齟齬があるようです)
。
(陵)宇多天皇女御中宮
温子
(陵)醍醐天皇皇后
穏子
(陵)村上天皇皇后
安子
(陵)冷泉天皇女御贈皇太后
懐子
(陵)冷泉天皇女御贈皇太后
超子
(陵)円融天皇皇后
遵子
(陵)円融天皇皇后
□子(女偏に皇)
(陵)円融天皇女御尊称皇太后
詮子
(陵)一条天皇皇后
彰子
(陵)三条天皇皇后
□子(女偏に成)
(陵)三条天皇皇后
妍子
(陵)後一条天皇皇后
威子
(陵)後朱雀天皇即位前妃贈皇太后 嬉子
(陵)後冷泉天皇皇后
寛子
(陵)後冷泉天皇皇后
歓子
(陵)後三条天皇即位前妃贈皇太后 茂子
(陵)堀河天皇女御贈皇太后
苡子
(墓)宇多天皇皇子
敦実親王
(墓)冷泉天皇皇子
敦道親王
(墓)後朱雀天皇女御准后
藤原生子
(陵)に書かれているのは「女ばかり」。どの墓かは明示されていないし、推定も難しいらしい。