(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
(少しカテゴリが異なる)京都の空間
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(京都ならでは)突然「有名人」が現れる空間 | |
御池通を歩いていると「親鸞聖人」が空の中に立っています。左手を見ると寺の門があって、あゝお寺なのか、と漸く落ち着ける。お寺の駐車場の真ん中らしい。 | 河原町通の大きなホテル(オークラ)の前に「木戸孝允」が刀を持って座っています。ビルが近代過ぎて、そこだけ見ると異様です。 |
ちょっと「驚かされるような人形」が立っている空間 | |
三条通を歩いていると、大きなビル(日本生命)の前に“首無し着物人形が立っています。一瞬ハッとする。最近このビルに着物販売店が入った。 | 下長者町通(新町東入ル)を歩いていると、背の低い大人の人形が大きな靴を持って立っています。一瞬眼を疑って振り返ります。宣伝効果か。 |
なんでこんなところに「孤立している」空間 | |
下立売通(智恵光院角)にある交番は孤立している。どの方向からも車道を渡らないと交番へ行けない(歩道に接していない)。どうして。 | 東山通(四条上ル)にある自転車屋(今は営業していない)の屋根に自転車が持ち上げられている。看板の代わりだろうか、それとも忘れ物か。 |
京都とは思えない「乱雑に看板が置かれた」空間 | |
旧二条通は市民に愛されているいい町なのですが、時折“変な”店がある。看板だけならまだしも、なぜか坂本龍馬も座っている。いずれ嫌われ店になるかも。 | 一条通「大将軍商店街」の東入口に「大将軍」の看板が入り乱れて掛けられている。そこまでしなくていいのに、と思う。京都らしくない。 |
街角で遊ぶ(「遊び空間」と似ている) | |
大徳寺の山門近くで、大人も子供も鳩に豆やりをして遊んでいます。坊さんは知らんぷりですが。 | 住宅街の道路でも、子供たちが水遊びしています。少し大きな子供たちがそれを見守る。 |
街角には一人孤立して時を過ごしている人もいます | |
車屋町通を一人上ってくる人がいます。膏薬でも買い求めに来たか。 | 堀川は大分整備された。竹屋町通あたりでは休めるようになっている。考え事でもしているか。 |
街のあちこちでご婦人たちは雑談に花を咲かせています | |
街の八百屋の前で立ち話を始めました。これが長い。これは京都に限らずか。 | 井戸での水汲みに来たついでに、雑談をしています。水汲みに来たのか、雑談に来たのか。 |
商店街での買い物が街を賑わせている | |
三条通のミートショップ「ヒロ」ではいつもこの賑わい。三条通に活気をもたらしている。 | 七本松通の「とようけ屋山本」も人気です。子供がつかいで買いに来ています。 |
街角には人の動きを感じさせる「物」が置きっぱなしになっています | |
押小路通の「ポケット」の前にはいつも自転車が立てかけてあります。お店の人のものか、雰囲気が合っている。 | 夷川通「ひつじドーナッツ」の前の「乳母車」。母親がドーナツを買いに店に入ったのか。いかにも街角らしい光景。こういう光景が好きです。 |
店の“老”あるじが店を仕切っています | |
言わずと知れた今出川通「静香」のママ。この人がいないと店はもたない。残念ながら今は亡い。 | 寺町通の本屋。ご主人が本に囲まれて店番をしている。趣味と実益か。 |
平等院 | 浄瑠璃寺 |
これは完全に土門拳の模倣です。雲の感じが「土門拳になるまで待てなかった」。その分、迫真に迫れていない。 | これも土門拳の作品と同じ角度で狙ったもの。「池に食い込む道の感じ」が土門拳より良いように思える(うぬぼれですが)。 |
嵯峨野大沢の池 | 嵯峨野石仏群大沢の池 |
これも土門拳の作品と同じ角度で狙ったもの。時刻が遅すぎて、光の具合が“ぐんと”落ちる(悪い)。 | 土門拳の作品とは異なる石仏か。たくさんあるので、同じものを見つけられなかった。 |
神護寺 | 高山寺 |
神護寺は土門拳写真集には仏像しか出てこない。較ぶべくもない。撮っていれば、こんな感じか。 | これは土門拳の作品と反対方向から撮ったもの。やはり腕前の差は歴然。 |
元の姿が容易に想像できる「逆さ空間」 | |
平等院鳳凰堂です。「土門空間」を逆さに見たもの。同じ時に撮影したものです。水面の揺らぎが良かったのか、悪かったのか。 | 「嵯峨釈迦堂」(清凉寺)境内の池に映る「山門」です。沈みかけている太陽も映りこんで見応えのある「逆さ空間」になっています。 |
水面に映っているだけで“さほど感動しない”「逆さ空間」 | |
等持院の「根曲がり松」。 「心字池」に写りこんでいます。 | 西芳寺(苔寺)の「心字池」に写る「木橋」。なんだかボンヤリしています。 |