(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)

宇治と鳥羽と伏見           (INDEX:索引へ)


「宇治と鳥羽と伏見」はいずれも平安京の南・洛外にある地域。最近「観光で脚光を浴びつつ」ある。
「鳥羽・伏見」とか「宇治・伏見」と2地域ペアで呼ばれることが多い。「3地域の関係はどうなっているのか」調べてみた。

   昔の人の認識   伏見   鳥羽   宇治   最近の使い方


  1. 伏見
    伏見区現在は「伏見稲荷大社」が正式名称のようです濠川(宇治川派流)に面する「醸造業者」
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    京都市の最南端部にあたる伏見区深草藪之内町にある今でも、この堀から「宇治川−淀川」へ出られる

  2. 鳥羽
    今も残る「鳥羽作道」鳥羽離宮跡に建つ「院政の地」碑小枝橋に残る「鳥羽伏見の戦い」の碑
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    鳥羽地蔵辺りから北羅城門方向を望む応徳3年(1086)ここで院政を始めたここで戦端が開かれた

  3. 宇治
    「宇治橋断碑」(放生院、重文)平等院「鳳凰堂」宇治橋の傍らに立つ「紫式部」の像
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    宇治橋の由来を刻した石碑の断片。
    「放生院」も680年道昭が創建
    鳳凰堂の中の阿弥陀如来坐像は西側に座して東を向いている平成15年(2003)になって建てられた