(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
(京都大事典に記載されている)
京都の廃寺(た行)
(INDEX:索引へ)
大休寺
(だいきゅうじ)
正式名称・宗派
:大休寺/禅宗(通称:雲の寺)
このページの索引へ
住所
:上京区堀川通一条上ル竪富田町(
一条戻橋
のすぐ北東)
特記
:
足利直義
が僧妙浮開山として「村雲」町のやや南に創建。故に「雲の寺」と呼ばれる。2町の大きさ。応仁元年(1467)兵火で焼失、廃絶。
近くの
だいうすの辻子
は「大休」が訛ったのかもしれない。
大慈院
(だいじいん)
正式名称・宗派
:大慈院/浄土宗
このページの索引へ
住所
:中京区
六角通高倉
特記
:六角佐々木氏が満高(
六角家
6代当主)の菩提を弔うため禅院として建立
(別の説として、夢窓疎石が建立、
天龍寺
三会院の別院を移設、などもある)
。後に
宝鏡寺
に移り、転宗、尼寺の「南御所」とした。明治維新の際、宝鏡寺に併合された。
橘逸勢社
(さねやすしんのうごれいしゃ )
正式名称・宗派
:(−−−−)橘逸勢社
このページの索引へ
住所
:中京区
姉小路通堀川東入ル
特記
:
橘逸勢
(承和11年(844)没)の御霊を祀るため「逸勢邸宅」跡に建てられた。創建時期は不明、文献上は平治元年(1159)が初見。社は治承元年(1177)焼失。
橘逸勢邸址の碑
のある所に「橘逸勢社」があった
知足院
(ちそくいん)
正式名称・宗派
:知足院/天台宗(園城寺の別院)
このページの索引へ
住所
:
船岡山
の東麓あたり(
雲林院
の近くとも)
特記
:創建は不詳。延喜18年(918)以前とも。本尊は
不動明王像
。
藤原頼通
も病気平癒を祈願し、
藤原忠実
は「能寂堂」を建て信仰した。
保元の乱
後、その縁で
忠実はこの寺に幽閉され
た
(名目は「隠居」した)
ことで「知足院関白」と呼ばれた。その後衰退し、江戸期に「紫竹」に場所を移して
常徳寺
になった。
長福寺
(ちょうふくじ)
正式名称・宗派
:長福寺/真言律宗
このページの索引へ
住所
:中京区三条大宮あたり
特記
:創建・沿革など
不明
。永和3年(1377)「山名時氏の七回忌」が営まれた、明応5年(1496)
神泉苑
での不正事件などが文献に見られる。江戸期には衰退したらしい。
長宝寺
(ちょうほうじ)
正式名称・宗派
:長宝寺/真言宗
このページの索引へ
住所
:北区大将軍あたり(正確な位置はわからない)
特記
:創建・開基など
不明
。本尊十一面観音像は
菅原道真
作(柿の木)と伝え、洛陽三十三所観音霊場の一つ。
北野天満宮御供所七保
の「三之保社」でもあった。明治2年(1869)本尊と1つの堂宇は
成願寺
(上京区一条通御前西入ル)
の境内に移された。
成願寺境内に移された「長宝堂」
伝法寺・日輪寺・白雲寺
概要
:平安京遷都前、
光仁天皇
が慶俊僧都に命じて
愛宕山
を中興した時に併せて「その周辺に建立された寺」は
愛宕山五寺
と呼ばれる。
すべてが「廃寺」になった訳ではなく、現在も存続している寺もある。
このページの索引へ
住所
:愛宕山周辺の「山の中」。
白雲寺
(はくうんじ):「愛宕山」(右京区嵯峨愛宕町)。奈良期に、泰澄(愛宕山の開山)が創建。光仁天皇が中興(建立は
和気清麻呂
か)。「この寺の
縁起
」に「愛宕山五寺」のことが書かれている。明治初年の神仏分離令で廃寺に。『
宿坊跡
』は発掘されている。
愛宕神社
によれば、廃寺後「愛宕神社」になった、という。
勝軍地蔵
は金蔵寺に移された。
伝法寺(でんぽうじ):「賀魔蔵山」(どこか不明、右京区嵯峨愛宕町あたりらしい)。具体的な
記録が見つからない
。
日輪寺(にちりんじ):「竜上山」(どこか不明)。奈良期に、泰澄が創建。天応元年(781)中興されて「愛宕山五寺」に加わった。それ以降の記録は無い。
神願寺(じんがんじ):「高雄山」(右京区梅ヶ畑高雄町)。天長元年(824)
神護寺
となり、現在も存続している。
月輪寺
(つきのわでら):「大鷲峰」(右京区嵯峨清滝月ノ輪町)。天応年間(781-)創建と伝え、現在も存続している。
東光寺
(とうこうじ)
正式名称・宗派
:東光寺
このページの索引へ
住所
:左京区岡崎
東天王町
付近(現
岡崎神社
あたり)
特記
:貞観18年(876)
藤原高子
の発願で創建。天暦2年(948)、治承3年(1179)焼失の記録あり。室町期まで存続したか。
発掘調査
も進められている。現在、寺地は「岡崎神社」になっている。
かつて東光寺があったあたりに、今は
岡崎神社御旅所の碑
が建っている
道正庵
(どうしょうあん)
正式名称・宗派
:道正庵/曹洞宗
このページの索引へ
住所
:上京区
新町通寺之内上ル
道正町(
妙顕寺
の東側)
特記
:創建不詳。
道元
に随行して入宋した
木下道正
(稲荷神から伝授された「神仙解毒万病円」という
一丸薬
を製造し全国の曹洞宗寺院に販売した)が建てた庵。この庵は明治期に廃絶したらしい。現在は「道正町」という町名に名を残す。
道正庵鎮守=道正庵稲荷神社は今も「道正町の木下邸」に残っているらしい。
東漸寺
(とうぜんじ)
正式名称・宗派
:東漸寺/日蓮宗
このページの索引へ
住所
:東山区粟田口東大谷山町(現在の
東大谷墓地
の中)
特記
:天正18年(1590)真寂が
本能寺
(天正20年(1592)創建)の末寺として創建。
本能寺の変
(天正10年(1582))後の復興の一環か、よくわからない。明治8年(1875)廃絶。
東林寺
(とうりんじ)
正式名称・宗派
:東林寺/律宗
このページの索引へ
住所
:東山区泉涌寺
東林寺町
(バス停「泉涌寺道」に近い)
特記
:鎌倉期、宋から帰国した曇照(
泉涌寺の塔頭戒光寺
の開山)が、筑前に創建した「西林寺」に対して、泉涌寺道南側に「東林寺」を創建した。文明2年(1470)兵火で焼失。現在は「東林寺」という町名に名を残す。
徳大寺
(とくだいじ)
正式名称・宗派
:徳大寺
このページの索引へ
住所
:右京区龍安寺御陵ノ下町(
龍安寺
の近く)
特記
:創立・沿革などは不明。
円融寺
の後身とも、その一部とも。
藤原実能
はここに別荘を営んだことで
徳大寺家
と呼ばれた。宝徳2年(1450)
細川勝元
がこの地を譲り受け
龍安寺
を開き、徳大寺は消滅した。龍安寺の鏡容池は徳大寺の遺構とも伝える。
鳥部寺
(とりべでら)
正式名称・宗派
:宝皇寺(通称:鳥部寺)
このページの索引へ
住所
:東山区妙法院前側町(現在
妙法院
のあるあたり)
特記
:いつ創建されたかわからないが、この地は
葬送地
であるが故に、いつか「供養する寺」になったのだろう。廃絶した時期も不明。
南蛮寺
(なんばんじ)
正式名称・宗派
:被昇天の聖母教会/
キリスト教
(通称:『
南蛮寺
』)
このページの索引へ
住所
:下京区
蛸薬師通室町西入ル
姥柳町
特記
:天正4年(1576)四条あたりの会堂を移して「本格的な教会」を建てた。『
狩野元秀
の絵』に描かれている。天正15年(1587)豊臣秀吉に
破壊された。
「南蛮寺跡の説明板」は見えるが「南蛮寺跡の石碑」は駐輪自転車の陰でみえない。この辺りが「姥柳町」(両側町)
日厳院
(にちごんいん)
正式名称・宗派
:日厳院/天台宗(別名:小坂殿)
このページの索引へ
住所
:現在
妙法院
のあるあたり(バス停「東山七条」付近)
特記
:平安末期、妙法院13世快修が創立した「院家」(綾小路あたりの
里坊
「小坂殿」内)。文禄年間(1592-)妙法院が現在の地に移るとき「その西側」に移転した。近世は「
妙法院脇門跡
」と称されたが、のちに妙法院に併合された。
般若寺
(はんにゃじ)
正式名称・宗派
:五台山般若寺/古義真言宗御室派
このページの索引へ
住所
:右京区鳴滝般若寺町(バス停「三宝寺」から北へ歩く)
特記
:延喜年間(901-)大江玉淵(
大江千里
の兄)が観賢僧正を開山に創建。
大江氏
の菩提寺
。これ以外の沿革は不明。
藤原遵子
をこの寺の東北で火葬した記録があるのみ。現在、山裾に「般若寺稲荷」という小祠だけが祀られている。
深草寺
(ふかくさでら)
正式名称・宗派
:深草寺(別名:深長寺)
このページの索引へ
住所
:伏見区深草のどこか(
全国文化財総覧
によれば、深草僧坊町(
聖母女学院
の近く)、とある)
特記
:創建・沿革ともに不明の
古代寺院
。「秦久丸」が大津宮のために創建したか。または
龕前堂廃寺
と同一という説もある。瓦などが出土している。
福勝院
(ふくしょういん)
正式名称・宗派
:福勝院(別名:白河御堂)
このページの索引へ
住所
:左京区吉田二本松町(現在の
近衛中
あたり)
特記
:仁平元年(1151)
藤原泰子皇后
の創建(いわゆる
白河地区
から北へ少し外れている)。泰子皇后はここに埋められたという。発掘調査も進められている。
藤尾寺
(ふじのおでら)
正式名称・宗派
:藤尾寺
このページの索引へ
住所
:現在の住所では、山科区厨子奥花鳥町あたりか(粟田山の東→山を越えて日ノ岡の方にあると考えるか)
特記
:平安中期、
粟田山
の東にあった寺。
今昔物語
に「この寺に住む尼」の話(天暦年間(947-))が出てくるので、京都大事典も取り上げたか。これ以外に記録は無い。
仏性院
(ぶっしょういん)
正式名称・宗派
:仏性院
このページの索引へ
住所
:現在の左京区修学院藪添あたり(
修学院離宮
(万治2年(1659))あたりの北隣)
特記
:
藤原行成
の創建。
源順
が応和元年(961)この寺で秋を惜しんで詠っている。「縦以
(たとえ)
)コウ函
(関所の名前)
をもて固めとすとも、蕭瑟
(しょうしつ)
を雲衢
(うんく)
に留め難し。縱
(たとえ)
孟賁
(勇者の名前)
をして追はしむとも、何ぞ爽籟
(そうらい)
を風境に遮らむ」。
源順と行成は時代が合わないがどう解釈すればよいのか。
普明寺
(ふみょうじ)
正式名称・宗派
:普明寺/真言宗
このページの索引へ
住所
:伏見区深草のどこか
特記
:平安初期
醍醐寺
開山の聖宝が創建。(若干複雑な)
貞観寺
の住房だったとも。
聖宝
はこの寺で没した。廃亡の時期も不明。
普門寺
(ふもんじ)
正式名称・宗派
:普門寺/臨済宗国泰寺派
このページの索引へ
住所
:上京区
仁和寺街道六軒町西入ル
四番町(報土寺から南へ歩く)
特記
:18世紀初頭、天英が開創。本尊は観世音菩薩。近世に廃絶。
法興院
(ほうこういん)
正式名称・宗派
:法興院
このページの索引へ
住所
:中京区
河原町通二条上ル
あたり(
菊野大明神
から近い)
特記
:正暦元年(990)5月8日出家した
(没直前)
藤原兼家
が自「二条京極邸」
(二条四坊十五町で、藤原定家の
京極邸
(二条四坊十三町)ではない)
を寺に改めた。正暦3年(992)寺内に「積善院」を設けた。正暦5年(994)の法要が
枕草子「260段」
に出てくる。寛弘8年(1011)法華堂を残し焼失。久安4年(1148)の火災を最後に記事は見られない。
法国寺
(ほうこくじ)
正式名称・宗派
:松圃山法国寺/時宗
このページの索引へ
住所
:東山区東山五条の交差点近く
特記
:桃山期、遊行33代満悟の開基で「
豊国寺
」と称したが、豊臣氏滅亡後「法国寺」に改称した。明治40年(1907)、六条道場
歓喜光寺
に併合された。
宝福寺
(ほうふくじ)
正式名称・宗派
:鶴林山宝福寺/時宗(別名:
地蔵堂
)
このページの索引へ
住所
:東山区東大路通五条上ル小島町(バス停「五条坂」から北へ)
特記
:天平5年(733)
行基
の創建と伝える。もとは「鳥辺野」にあり「南無地蔵」「鳥辺野道場」と呼ばれた。大正初年、現在に地にあった「荼毘所跡」に「地蔵堂」を構えて再建したが、戦後衰微した。平成30年(2018)
長楽寺
の前住職が再度建立。地蔵尊は「親恋地蔵尊」と呼ぶようにした。
公式サイト
:
宝福寺
法琳寺
(ほうりんじ)
正式名称・宗派
:法琳寺/真言宗(別名:小栗栖寺)
このページの索引へ
住所
:伏見区小栗栖北谷町(地下鉄「醍醐」駅から西の山の方へ歩く)
特記
:
斉明天皇
3年(657)孝徳天皇の御願により創建と伝える。奈良時代前期の『
瓦などが出土
』している。承和7年(840)「太元帥法の根本道場」になり、斉衡年間(854-)
文徳天皇
御願の薬師堂も建てられた。その後は
醍醐寺
塔頭「理性院」が管理していたが、江戸期の廃寺に。
法華山寺
(ほっけさんじ)
正式名称・宗派
:法華山寺/天台宗(別名:峰ヶ堂)
このページの索引へ
住所
:西京区御陵峰ケ堂(バス停「東桂坂」から北へ歩く、標高183m)
特記
:鎌倉初期、園城寺僧の慶政(藤原道家の兄、延朗上人の弟子)が創建。
谷ヶ堂
に対して「峰ヶ堂」と呼ばれ、ここに延朗の墓を造った。康永元年(1342)足利幕府の祈願所になる。大永7年(1527)の戦乱で廃絶。跡地には
唐櫃峠
の入口
にあたるため「峰城」が築かれた。
本光院
(ほんこういん)
正式名称・宗派
:本光院/天台真盛宗
このページの索引へ
住所
:上京区真盛町745(上七軒、
西方尼寺
の中)
特記
:天正年間(1573-)
織田信長
の創建。もと京極通二階町にあったが、宝永年間(1704-)東今小路町(
北野天満宮
の南東)に移転、日心尼(一条輝良の女)が中興。以降「尼門跡」になる。明治以降「西方寺」が管理し、昭和43年(1968)
西方寺
境内に移転。通りからは「本光院」(地蔵堂)は見えないが「廃寺」になった訳ではなさそう。
みのわ堂
(みのわどう)
正式名称・宗派
:みのわ堂
このページの索引へ
住所
:下京区西洞院通六条下ル西側町付近
特記
:平安中期。(説1)蓑和入道首藤通弘が創建。
源頼義
が奥州の合戦で多くの敵を殺したことを悔いて、この堂で修行した。(説2)源頼義が創建。奥州合戦で討ち取った敵の耳を持って帰り、この堂の下に埋めたので「耳納堂」と呼ばれたとも。
妙泉寺
(みょうせんじ)
正式名称・宗派
:妙泉寺/顕本法華宗
このページの索引へ
住所
:左京区
仁王門通東大路西入ル
北門前町
特記
:永享3年(1431)
妙満寺
の日舜が綾小路に創建。塔頭30数院を持つ大寺だったが、中世の兵火で荒廃。天正18年(1590)豊臣秀吉の命で
寂光寺
内へ移転。後に北門前町へ移転、さらに寂光寺に併合された。
元屋敷廃寺
(もとやしきはいじ)
正式名称・宗派
:不明
このページの索引へ
住所
:東山区山科大宅元屋敷町(バス停「南大塚」の近く)
特記
:古代寺院跡。創建・沿革は不詳。奈良期の平瓦が出土している。発掘調査は進んでいないようですが
遺跡文化財
には登録されている。
山科本願寺
(じゅんこうじ)
正式名称・宗派
:山科本願寺/浄土真宗
このページの索引へ
住所
:山科区西野山階町と左義長町(地下鉄「東野」駅から徒歩10分)
特記
:
蓮如
が野村郷の名主から土地の寄進を受け文明12年(1480)「御影堂」を完成させた。「八町」の広さを持ち「
城郭
的構築」であった。天文元年(1532)細川・六角の攻撃を受け、焼失。本願寺は
大阪石山
に移った。
『
発掘調査
』は概ねできていて、南殿跡と土塁後は「国の史跡」の指定されている。付近に「
蓮如上人廟所
」があり、
現役の
山科別院
もある。
「山科本願寺の
土塁跡
」(石碑が建っている)
霊厳寺
(れいがんじ)
正式名称・宗派
:霊厳寺
このページの索引へ
住所
:北区西賀茂岩門あたりか(
正伝寺
の奥、
船山
の南麓)
特記
:創建不明。平安前期には「妙見菩薩」を祀る。今昔物語に「眼病平癒」の話が出てくる。早く廃れたが、妙見堂だけは中世まであったか。
蓮華寺
(れんげじ)
正式名称・宗派
:蓮華寺
このページの索引へ
住所
:
双林寺
の門前
特記
:「今昔物語」に「桜の枝を折って比叡山と興福寺の諍いになった」話が出てくる。
祇園女御
の邸宅跡とも。