(東京から引っ越してきた人の作った京都小事典)
(京都大事典に記載されていて、京都小事典に記載されていない)
京都の寺社(さ行)
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- 西運寺(さいうんじ)
- 正式名称・宗派:松風山西運寺/浄土宗(通称:狸寺) このページの索引へ
- 住所:伏見区桃山町泰長老108(京阪「観月橋」駅から近い)
- 特記:慶長元年(1596)開創。幕末頃、住職が裏山「指月の森」に棲む狸にエサを与えて手なづけた。近くの俳人・歌人・画家も見物に訪れ、京焼の名工高橋道八が狸の焼物を門前に置いたので「狸寺」と呼ばれるようになった。
- 西雲寺(さいうんじ)
- 正式名称・宗派:万松山西雲寺/天台宗真盛派 このページの索引へ
- 住所:上京区御前通今出川下ル(バス停「北野天満宮前」から南へすぐ)
- 特記:寛文5年(1665)開創か、延宝3年(1675)中興か、記録が曖昧。本堂にある地蔵菩薩は「明星を見上げる姿」をしていることから「星見地蔵」と呼ばれている。「安産」「歯痛治癒」にも霊験があるとか。
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| 石標には「天台真盛宗」とある |
御前通から入る「西雲寺」墓地への細道 |
- 西円寺(さいえんじ)
- 正式名称・宗派:稲木山西円寺/浄土宗本願寺派 このページの索引へ
- 住所:上京区河原町通今出川下ル(交差点から南へ歩く)
- 特記:親鸞が常陸国に滞在の折、常陸稲木の城主「佐竹三郎義隆(信光)」が入門して、永仁3年(1295)この地に創建した。
- 西園寺(さいおんじ)
- 正式名称・宗派:宝樹山竹林院西園寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:上京区寺町通鞍馬口下ル(天寧寺の南隣)
- 特記:元仁元年(1224)藤原公経が北山山荘内に真言宗の寺として創建、以降公経の家系は西園寺家になった。足利義満の北山殿(現在の金閣寺)造営に伴い室町頭に移転。天文23年(1554)緑誉が浄土宗に改め、天正18年(1590)現在の地へ移転した。江戸期には塔頭七院を擁したが、明治維新後衰退した。本尊阿弥陀如来像は重文。本堂の扁額は子孫・西園寺公望の筆になる。
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| 寺町通に面する「山門」 |
「槌留地蔵(土止地蔵)」を安置する「地蔵堂」 |
- 西岸寺(さいがんじ)
- 正式名称・宗派:西岸寺/浄土真宗本願寺派(通称:法性寺小御堂) このページの索引へ
- 住所:伏見区深草直違橋2丁目(聖母女学院から南へ)
- 特記:親鸞に帰依した「有阿弥」(九条兼実の家来で田村光隆)が創建。時期は曖昧で、有阿弥が兼実ゆかりの「法性寺小御堂」を寄進したとか、親鸞の妻「玉日姫」が親鸞流罪後に自らの屋敷を有阿弥に譲ったとも。寺には玉日姫廟所・木像がある。
伏見には同名の「西岸寺(通称:油懸地蔵)」があり、こちらの方が有名かもしれない。
- 公式サイト:西岸寺
- 西向寺(さいこうじ)
- 正式名称・宗派:幸阿弥谷西向寺/浄土宗知恩院派(通称:爪彫地蔵) このページの索引へ
- 住所:北区北山通千本東入ル(バス停「旭ヶ丘」の前)
- 特記:寛永年間(1624-)開創。現存諸堂は宝暦年間(1751-)に整備された。境内にある「地蔵菩薩板石塔婆」(爪彫地蔵)は明徳2年(1391)建立で、京都の「三板碑」に数えられる。本堂には本尊阿弥陀如来二十五菩薩を祀る(藤原時代中期の作)。
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| 立派な「参道」と「山門」が出迎える |
「爪彫地蔵」、彫りが薄くなって見えにくい |
「本堂」 |
- 西光寺(さいこうじ)
- 正式名称・宗派:北亀山西光寺/浄土宗西山深草派(通称:寅薬師) このページの索引へ
- 住所:中京区新京極通蛸薬師上る中筋町495-1
- 特記:寺伝では、弘安5年(1282)空海作の薬師如来(寅薬師)を下賜され薬師堂を建立したのに始まる。開基は誓願寺十二世伝慶。以降何回も焼失し、慶応元年(1865)再興された。
- 西光寺(さいこうじ)
- 正式名称・宗派:大悲山空也院西光寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:東山区清水4(清水坂の途中)
- 特記:(私の空也の足跡からまとめると)天暦5年(951)空也は「東山道場」を整備、応和4年(964)道場を「西光寺」とした。天禄3年(972)空也はここで入滅し、ここに埋葬された。
空也入滅後の貞元2年(977)「西光寺」は「六波羅蜜寺」に改称し、「西光寺」の名跡と「空也の墓」は「現在の地」へ移した。(いろいろ異論はあるかもしれませんが・・・)
現在の「西光寺」が上記の「西光寺」の跡を継いでいるかは不明。
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| 「西光寺」の参道 |
「三重石塔」 |
「空也上人廟」(右)がある(多分「墓」ではない) |
- 西光寺(さいこうじ)
- 正式名称・宗派:来迎山西光寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:右京区太秦多藪町(大映映画通り商店街の近く)
- 特記:嘉禄3年(1227)幸阿が円空(法然の念持仏・阿弥陀如来像(重文)を保有)の住居跡に開創。法然廟が叡山僧に襲われた時、一時ここに遺骸を安置した(円光大師二十五霊場の番外)。文化年間(1804-)再興された。「尼寺」。
「西光寺」はまだ他にもある。西光寺(出雲路)など。
- 西宗寺(さいしゅうじ)
- 正式名称・宗派:放鶯山西宗寺/浄土真宗本願寺派 このページの索引へ
- 住所:山科区西野広見町(蓮如上人御廟所から西へ少し歩く)
- 特記:文明13年(1481)蓮如の弟子・浄乗(山科の名主・海老名信忠)が山科本願寺内に創建。門前に「蓮如上人御往生之地」の石標が立つ。「蓮如上人御廟所」はこの寺が管理している。
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| 大きな石標がが目立つ |
- 最然寺(さいねんじ)
- 正式名称・宗派:本長山最然寺/日蓮宗(通称:犬猫寺) このページの索引へ
- 住所:南区上鳥羽岩ノ本町5(バス停「城ヶ前町」近く)
- 特記:日親(本法寺の開基)が鬼子母神を勧請して「在念寺」とした。元禄年間(1688-)日髄が「最然寺」に改めた(開基)。現在「聞法と相談の寺」として活動している。犬猫の菩提寺でもある。
- 公式サイト:最然寺
- 西福寺(さいふくじ)
- 正式名称・宗派:桂光山敬信院西福寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:下京区松原通大和大路東入ル西轆轤町(六波羅蜜寺の北隣)
- 特記:空海が六道の辻に辻堂を建て自作の地蔵尊を祀ったのが始まり。この地蔵は今でも「子育て地蔵」として信仰されている。慶長8年(1603)安国寺恵瓊を弔うために蓮生が開基。本尊は阿弥陀如来だが、(末廣)不動明王も祀っている。
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| 松原通に面している「西福寺」 |
- 西福寺(さいふくじ)
- 正式名称・宗派:如意山光厳院西福寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:伏見区深草大亀谷西寺町(藤森神社から東へ)
- 特記:文和年間(1352-)光厳天皇の創建という(禅宗、伏見山)。近世初頭、現在の地に移転し、改宗した。伏見七福神の寿老人も祀る。
- 西方寺(さいほうじ)
- 正式名称・宗派:来迎山西方寺/浄土宗(通称:鎮守庵) このページの索引へ
- 住所:北区西賀茂鎮守庵53(西賀茂大将軍神社の西)
- 特記:承和14年(847)円仁の創建(天台宗)と伝える。正和年間(1312-)道空法如が中興して浄土宗に改める。この時、干菜寺の末寺になり、干菜寺系の六斎念仏を伝える。
- 西方寺(さいほうじ)
- 正式名称・宗派:真盛山西方寺/天台真盛宗(通称:西方尼寺) このページの索引へ
- 住所:上京区真盛町745(上七軒、老松の東隣)
- 特記:文明年間(1469-)真盛を開基として、盛久・盛春の両尼が北区大北山に創建(西福寺)。永正年間(1504-)現在の地へ移転して浄土宗へ改宗。この寺の尼僧が作る真盛豆はもともとは念仏聴聞者に授与したもの。本堂前に利休が使用した「利休井」があり、絹本著色観経曼荼羅図は重文。本尊の阿弥陀如来像は椅子に腰かけたもので「腰掛阿弥陀」と呼ばれる。
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| 上七軒の通りから塀越しに見るしかなさそうです |
- 西方寺(さいほうじ)
- 正式名称・宗派:亀水山無量寿院西方寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:中京区綾小路通大宮西入ル(四条大宮から南へすぐ)
- 特記:天喜6年(1058)創建(天喜堂)。慶長15年(1610)念誉上人により浄土宗西方寺となる。寛政年間(1789-)復興。
- 西方寺(さいほうじ)
- 正式名称・宗派:光明山西方寺/真宗大谷派 このページの索引へ
- 住所:伏見区風呂屋町249(金札宮から南西へ)
- 特記:もと金札宮の神宮寺(天台宗久米寺)。元亨2年(1322)空性坊了源(金札宮の宮司が浄土宗に帰依)が存覚を開基として浄土宗に改めた。文和4年(1355)後光厳天皇から寺号西方寺を賜り、後柏原天皇の勅願寺になった。伏見城築城で移転、さらに徳川家康によって現在の地へ移転された。
「西方寺」もまだ他にもある。西方寺(二条)など。
- 西蓮寺(さいれんじ)
- 正式名称・宗派:松尾山西蓮寺/時宗(通称:西市屋道場) このページの索引へ
- 住所:下京区御前通七条下ル(松尾大社西七条御旅所の北隣)
- 特記:天慶2年(939)空也が松尾大社に参籠し、その御旅所社頭に創建した。以降この寺の住職が御旅所の供僧をつとめ、松尾大社の神幸祭には踊念仏を行った。七条堀川にあった市屋道場(金光寺)に対し西市屋道場と呼ばれた。
- 蔵王堂(ざおうどう)
- 正式名称・宗派:(−−−−)医王山蔵王堂光福寺/西山浄土宗 このページの索引へ
- 住所:南区久世上久世町826(バス停「下津林中島」のすぐ近く)
- 特記:天暦9年(955)浄蔵貴所(吉野大峰で修業した修験者)の開創。本尊は蔵王権現。平安京裏鬼門の守護か。その後東寺の支配下に入り、近世に三鈷寺の末寺、そして現在は現宗に。本堂は正保年間(1644-)建立。8月31日に行われる「久世の六斎念仏踊」は有名。
- 公式サイト:蔵王堂光福寺
- 猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
- 正式名称・宗派:(−−−−)猿田彦神社(通称:山ノ内庚申) このページの索引へ
- 住所:右京区三条通天神川東入ル(バス停「庚申前」から西へ歩く)
- 特記:祭神は猿田彦大神。創建・変遷は不詳。猿田彦(神話の人)故事から「道祖伸信仰」に。さらに「猿→申」で「庚申信仰」とも結びついた。
この「山ノ内庚申」は京都三庚申の一つで、他は八坂庚申堂、粟田庚申堂。
「猿田彦神社」もまだ他にもある。猿田彦神社(上御霊神社の近く)など。
- 三鈷寺(さんこじ)
- 正式名称・宗派:西山三鈷寺/西山宗総本山 このページの索引へ
- 住所:西京区大原野石作町1323(バス停「善峯寺」からさらに北へ進む)
- 特記:承保元年(1074)源算(善峯寺の開基)が草庵を結んで「往生院」としたのに始まる。寛喜3年(1231)証空(浄土宗西山派の祖)が念仏道場として中興し三鈷寺に改めた。境内に証空(西山上人)の廟がある。
- 公式サイト:三鈷寺(天空の寺)
- 三福寺(さんぷくじ)
- 正式名称・宗派:九品山阿弥陀院三福寺/浄土宗西山深草派 このページの索引へ
- 住所:左京区二条通東大路西入ル(バス停「東山二条」から近い)
- 特記:かつて証入が五条に創建した真言宗阿弥陀堂院が前身。その証入が「浄土宗西山派東山義」を開宗して栄えた。その後、秀吉による移転、類焼(宝永5年(1708))などを経て、現在の地へ。「夢見地蔵」(定朝作)は安産の地蔵として信仰されている。山門脇には「少林寺拳法」の大きな石標が立てられている。
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| 大石標のほか「上求菩提」「下化衆生」の石標も気になる |
「山門」から「本堂」を覗き見る |
- 直指庵(じきしあん)
- 正式名称・宗派:祥鳳山直指庵/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:右京区北嵯峨北ノ段町3(大覚寺から徒歩15分)
- 特記:正保3年(1646)独照性円(黄檗宗)が開いた草庵没蹤庵に始まる。「直指伝心」の禅の教えを守り寺号の無い「直指庵」とし、次第に荒廃した。幕末「村岡局」が浄土宗の寺として復興した。「想い出草」ノートが置いてあるので若い女性の参拝客が多い。
- 慈眼寺(じげんじ)
- 正式名称・宗派:福聚山慈眼寺/曹洞宗 このページの索引へ
- 住所:上京区出水通七本松東入ル
- 特記:天正16年(1588)佐々成政の菩提を弔うために創建(西陣の石屋図子)。大雲永瑞に開基を追請。本尊は聖観音座像。二度移転したのち、寛文3年(1663)現在の地へ。
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| 出水通から見る「慈眼寺」 |
- 慈受院(じじゅいん)
- 正式名称・宗派:広徳山慈受院/臨済宗(門跡尼寺、通称:薄雲御所) このページの索引へ
- 住所:上京区堀川通寺之内上ル
- 特記:応永34年(1427)日野栄子(足利義持の正室、慈受院浄賢竹庭尼大禅師)が建立。代々、宮家・摂関家が入寺し、宝暦元年(1751)以降「比丘尼御所」に列し、薄雲御所を号した。大正8年(1919)同じく日野栄子が開基の総持寺を併合して、現在の地に再興した。
- 公式サイト:慈受院門跡
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| 堀川通から見ると「慈受院門跡」と「薄雲御所」の2つの石標が建っている |
- 地主神社(じしゅじんじゃ)
- 正式名称・宗派:(−−−−)地主神社 このページの索引へ
- 住所:東山区清水1丁目317(清水寺の境内)
- 特記:創建は不詳。京都で「最古の神社」か。えんむすびの神様として有名で、参詣者は多い。本殿・拝殿・総門・境内地が重文。
- 公式サイト:地主神社
- 静原神社(しずはらじんじゃ)
- 正式名称・宗派:(−−−−)静原神社(通称:二ノ宮) このページの索引へ
- 住所:左京区静市静原町1351(薬王坂を下れば近い)
- 特記:成務天皇即位12年創建とも。祭神は伊弉諾尊、瓊瓊杵尊。かつては下鴨神社の管轄下にあったが、昭和35年(1960)分離独立した。大銀杏の木が目印。
- 実相寺(じっそうじ)
- 正式名称・宗派:正覚山実相寺/日蓮宗 このページの索引へ
- 住所:南区上鳥羽鍋ケ渕町524(バス停「城ヶ前町」から近い)
- 特記:文和年間(1352-)妙実上人(日像の弟子)が開創、妙実上人「勅願祈雨の旧蹟」と言われている。俳諧師松永貞徳の兄が再興。松永一門の墓所もある。江戸中期には「朝鮮通信使」の休憩所として使われた
- 公式サイト:実相寺
- 志明院(しみょういん)
- 正式名称・宗派:岩屋山金剛峯寺志明院/岩屋山不動教本山(通称:岩屋不動) このページの索引へ
- 住所:北区雲ケ畑出谷町261(バス停「雲ヶ畑岩屋橋」(1日2本)から岩屋川に沿って徒歩20分)
- 特記:役行者が草創(白雉元年(650))と伝える。本尊は不動明王(日本最古か)。伝説として有名な歌舞伎十八番鳴神があり、鴨川の源流と考えられている。江戸後期にほとんどの堂宇を焼失し、現在の主な建物は明治以降の再建。石楠花をはじめ植生は豊か。
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| 20分歩いて、この石段を登ったところが「志明院」の山門。滝はさらに本堂の奥にある |
- 十禅寺(じゅうぜんじ)
- 正式名称・宗派:揚柳山十禅寺/本山修験宗(通称:河原観音堂) このページの索引へ
- 住所:山科区四ノ宮泉水町17(徳林庵のすぐ北側)
- 特記:平安初期人康親王(仁明天皇の第4皇子)が出家した山荘に「聖観音像」を安置して創建した。結果、この辺りが四ノ宮と呼ばれるようになった。その後8回も焼失し、寛文5年(1665)頃再興された。
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| 徳林庵の裏手に入って行くと、見つかる。何も見るべきものは無い |
- 十如寺(じゅうにょじ)
- 正式名称・宗派:寿福山十如寺/日蓮宗 このページの索引へ
- 住所:上京区御前通一条下ル
- 特記:永仁年間(1293-)日像が創建。法華堂と号した。寛文年間(1661-)日春が中興して、現寺号を定めた。
- 順興寺(じゅんこうじ)
- 正式名称・宗派:竜華山南殿順興寺/浄土真宗本願寺派 このページの索引へ
- 住所:右京区鳴滝松本町(三宝寺の手前)
- 特記:延徳元年(1489)蓮如上人が河内で創建し、次いで実従上人(蓮如の実子)が後奈良天皇の勅願を得て栄えたとも。寛永2年(1625)二条に移転したが、天明8年(1788)の大火で焼失した。現在の地へ移ってきたのは昭和49年(1974)。
蓮如が実従に唄って聞かせた子守唄が「やしょめの唄」と言われ、寺も「やしょめの寺」「蓮如上人御旧跡」と言われる。
- 順照寺(じゅんしょうじ)
- 正式名称・宗派:順照寺/浄土真宗本願寺派(通称:土車ノ庄道場) このページの索引へ
- 住所:北区新町通今宮下ル
- 特記:大永3年(1523)錦小路通鳥丸東入ルに了善(本願寺9世の弟子)の開基で創建された。この御本尊は壺屋又兵衛(林羅山の祖父)に守護されていて、慶長14年(1609)林道春(林羅山の父)の希望で再建された。現在の地へ移ってきたのはごく最近の模様(詳細不明)。
- 春長寺(しゅんちょうじ)
- 正式名称・宗派:松林山貞勝院春長寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:下京区寺町通四条下ル
- 特記:天正2年(1574)村井貞勝が三条京極の自邸内に創建した。貞勝が本能寺の変で没した後、その菩提を弔うため天正11年(1583)現在の地へ移り、現称を定めた。寺号は貞勝の号「春長軒」による。境内に貞勝の墓(五輪小塔)がある。
- 正栄寺(しょうえいじ)
- 正式名称・宗派:正栄寺/浄土宗(通称:腹帯如来) このページの索引へ
- 住所:左京区新堺町孫橋下ル和国町408(バス停「東山三条」から北西へ歩く)
- 特記:天正3年(1575)各誉が近江八幡から移転再興した。近江八幡では正暦2年(991)に創建、天元2年(979)源信が円融天皇の勅命で阿弥陀如来像(腹帯如来)を安置、天正元年(1573)焼失。
- 勝円寺(しょうえんじ)
- 正式名称・宗派:大悲山勝円寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:下京区仏光寺通河原町西入ル(空也寺の東隣)
- 特記:永正元年(1504)安誉が東洞院五条に開創。後奈良天皇の帰依により、勅願が与えられた。天正15年(1587)現在の地へ移転。本尊は円派仏師の勝円作の阿弥陀如来で、寺号は仏師に因む。
- 正行院(しょうぎょういん)
- 正式名称・宗派:亀通山梅蓮寺正行院/浄土宗捨世派(通称:輪型地蔵、猿寺) このページの索引へ
- 住所:下京区東洞院通塩小路下ル東入ル(京都駅近くの「新福菜館」の隣)
- 特記:天正6年(1578)円誉道阿を開山に請じて創建。元亀2年(1571)北山中川で修行中に猿を助けたことから「災難さる」の猿寺と呼ばれるようになった。本堂は寛永年間(1624-)の伏見城の遺構を移築したもの。門前の地蔵堂には、車石で作られた輪型地蔵が安置されている。
- 常行院(じょうぎょういん)
- 正式名称・宗派:常行院/浄土宗西山禅林寺派 このページの索引へ
- 住所:東山区大和大路通松原下ル北御門町(六波羅蜜寺から少し西へ歩く)
- 特記:慶長年間(1596-)道林(南禅寺楞厳院)が開創(臨済宗)。荒廃したため、町衆が堂宇を修理して「念仏道場」に、北御門町の惣堂となった。寛文元年(1661)龍故が中興して、浄土宗に。
- 浄教寺(じょうきょうじ)
- 正式名称・宗派:多聞山鐙籠堂浄教寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:下京区寺町通四条下ル(京都大神宮の北隣)
- 特記:承安年間(1171-)平重盛が小松谷の邸内に建立した灯籠堂に始まる。東洞院高辻(現・灯籠町)に移転、後花園天皇から浄教寺の勅願を得るが荒廃。文安3年(1446)立誉定意が再興して浄土宗に。天正19年(1591)現在の地へ移転。本堂に「重盛像」を置く。
- 城興寺(じょうこうじ)
- 正式名称・宗派:瑞寶山城興寺/真言宗泉涌寺派 このページの索引へ
- 住所:南区東九条烏丸町7-1(地下鉄「九条」駅からすぐ)
- 特記:(寺のHPと若干異なるが)藤原信長の邸宅を藤原忠通が寺に改めた(永久元年(1113))。本尊千手観世音菩薩は円仁の作とも。洛陽三十三所観音霊場の一つ。
- 公式サイト:城興寺
- 浄国寺(じょうこくじ)
- 正式名称・宗派:蓮池山無量寿院浄国寺/浄土宗(通称:果ての二十日寺、蓮池寺) このページの索引へ
- 住所:下京区寺町通高辻下ル(空也寺から南へ歩く)
- 特記:永禄3年(1560)信誉暁把が五条東洞院に創建。天正13年(1585)豊臣秀吉の寺社整理で現在の地へ移転。ここは藤原良相の六条邸宅「蓮池のある崇親院」があったところ。
12月20に六条河原で処刑される罪人に末期の水を与えたことから「果ての二十日寺」と呼ばれた。
- 荘厳寺(しょうごんじ)
- 正式名称・宗派:佛光山荘厳寺/時宗 このページの索引へ
- 住所:下京区富小路通五条南入本塩竃町592-2(市比売神社から少し南へ)
- 特記:応永12年(1405)相阿義縁(遊行11代自空の弟子)が創建、高辻道場とも呼ばれた。天正19年(1591)現在の地へ移転。明治3年(1870)再興。蕪村はこの寺にある子安地蔵を見て『やぶ入を 守る子安の 地蔵尊』と詠んだ(安永9年(1780)前後)。
- 公式サイト:荘厳寺
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| 割と狭い境内。正面=本堂(扁額に「荘厳寺」) |
右=地蔵堂(子安地蔵を祀る)、正面=本堂 |
- 正定院(しょうじょういん)
- 正式名称・宗派:紫雲山正定院/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:右京区嵯峨朝日町7(車折神社の東隣)
- 特記:天文20年(1551)下嵯峨川端村の材木商、福田・大八木両家が建立。開山は捨世派の祖・称念。
- 上善寺(じょうぜんじ)
- 正式名称・宗派:千松山上善寺/天台真盛宗 このページの索引へ
- 住所:上京区今出川通千本西入
- 特記:貞観5年(863)良源が創建。文明15年(1483)盛信が中興し、後柏原天皇から不断念仏道場の綸旨を賜った。文禄3年(1594)鞍馬口に移転したが、旧地の荒廃を嘆いて戻った(鞍馬口の上善寺は浄土宗に転じて現存)。寛文年間(1661-)天台宗真盛派になる。大師堂に良源および最澄作という「大黒天」を安置する。
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| 今出川通から見る「上善寺」。門前の右の石標には「三天合躰大黒天」の刻が見える |
- 常泰寺(じょうたいじ)
- 正式名称・宗派:国母山寳樹院常泰寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:伏見区深草七瀬川町886(京阪「藤森」駅から南へ歩く)
- 特記:天正13年(1585)観誉祐崇(鎌倉光明寺)が創建(城円寺)。享保年間(1716-)現名に改称。
- 浄土院(じょうどいん)
- 正式名称・宗派:清泰山浄土院/浄土宗知恩院派(通称:大文字寺) このページの索引へ
- 住所:左京区銀閣寺町30(「銀閣寺」門前の左)
- 特記:文明14年(1482)浄土寺の移転(相国寺の西へ、現在も「この地は浄土寺」の地名を残している)後、残った草堂を泰誉浄久が浄土宗に改め「浄土院」として再興した。享保17年(1732)随誉が三興。現在の堂宇は昭和初期の再建。大文字の送り火を管理する寺となっている。
- 浄土院(じょうどいん)
- 正式名称・宗派:湯沢山浄土院/浄土宗(通称:湯沢山茶くれん寺、尼寺) このページの索引へ
- 住所:上京区今出川通千本西入(上善寺の西隣)
- 特記:般舟院の隠居所として創建(宗因が開基)。本尊阿弥陀如来像は重文。本堂屋根の陶製「寒山捨得像」は楽長次郎の作と伝える。通称は「北野大茶湯」のおりの出来事(もっとお茶をくれ)から付けられた。
- 聖徳寺(しょうとくじ)
- 正式名称・宗派:大悲山上宮王院聖徳寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:下京区綾小路通大宮西入坊門町772(阪急「大宮」駅から南へ歩く)
- 特記:聖徳太子が六角堂を創建した際に自ら館舎を設けた地とされ、後に太子像を安置して寺に改め「上宮王院」とした。元和8年(1622)聖誉貞安が中興、改宗。寛政9年(1797)再建。太子堂もある。
- 上徳寺(じょうとくじ)
- 正式名称・宗派:塩竈山霊光院上徳寺/浄土宗(通称:世継地蔵) このページの索引へ
- 住所:下京区富小路通五条下ル本塩竈町556(バス停「河原町五条」の前)
- 特記:慶長8年(1603)徳川家康の帰依を得て伝誉一阿が開創(開基は阿茶の局)。後に寺領を拡張し、上徳寺と改めた。現在の堂宇は明治期の再建。墓地に阿茶の局の墓がある。2月8日には世継地蔵尊大祭(子授けや安産を祈願)が開催される。
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| 「石標」には「阿茶の局墓所」とある |
「本堂」 |
「世継地蔵(子授けが祈願される)」の「地蔵堂」 |
- 浄徳寺(じょうとくじ)
- 正式名称・宗派:柊野山浄徳寺/浄土真宗大谷派 このページの索引へ
- 住所:上京区大宮通西裏今宮御旅初西入下る西若宮北半町143(若宮神社の少し南)
- 特記:江戸初期、祐徳(富永丹後守家成)が創建。伏見城の旧殿を本堂にしたと伝える。天明8年(1788)の大火で焼失、同年再建。
- 常徳寺(じょうとくじ)
- 正式名称・宗派:知足山常徳寺/日蓮宗妙顕寺派 このページの索引へ
- 住所:北区紫竹東栗栖町28(バス停「常徳寺前」)
- 特記:藤原忠実の隠居所「知足院」が前身。「知足院」時代に源義朝の側室常盤御前が身を寄せたと伝わる。故に本堂安置の地蔵尊は「常盤地蔵」(安産祈願)と呼ばれる。
寛永5年(1628)不授不施派の日奥が後藤長乗の帰依を得て日蓮宗に改宗、「常徳寺」としてここ「紫竹」で再興された。墓地に歴代後藤家の墓がある。
- 公式サイト:常徳寺
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| 「山門」前に「仁王石像」が置かれるようになった。ちょっと怖い |
「知足山」の扁額を掲げる「本堂」 |
- 常徳寺(じょうとくじ)
- 正式名称・宗派:龍永山常徳寺/浄土真宗大谷派 このページの索引へ
- 住所:東山区大黒町通五条下る袋町300(東山郵便局の近く)
- 特記:寛永14年(1637)了恵が下京区下柳町に創建。明和年間(1764-)同大阪町に移転。その後火災を2回。明治44年(1911)烏丸通拡張のため、徳善寺(どこの寺か京都大事典は明確にしていない)を合併して現在の地へ移転。
- 浄仏寺(じょうぶつじ)
- 正式名称・宗派:如意輪山浄仏寺/明算真言宗(通称:七観音院) このページの索引へ
- 住所:東山区南町422(祇園下河原通)
- 特記:七条院殖子(高倉天皇の妃)が東三条院内裏に観音堂を建立したことに始まる。後に後鳥羽天皇護持の六観音を併せて安置したことから「七観音院」と号した。その後、烏丸六角、京極中御霊に移り、寛文元年(1661)現在の地へ移転。
- 常楽院(じょうらくいん)
- 正式名称・宗派:鳴滝山常楽院/真言宗御室派 このページの索引へ
- 住所:北区西賀茂円峰2-7(柊野堰堤から西へ歩く)
- 特記:鎌倉初期、聖禅が「花厳院」(宇多天皇が創始した49院の一つ)の旧地に創建。江戸初期、覚深法親王(仁和寺)が再興。再度、慶応2年(1866)顕阿が復興した。昭和50年(1975)までは鳴滝本町にあり「鳴滝山」を号す。本尊は「清凉寺式釈迦如来立像」(重文だが、住職が勝手に処分した。その後の顛末は不詳)。それに付随する「十大弟子立像」は文化庁が強制的に保管している。
- 浄蓮華院(じょうれんげいん)
- 正式名称・宗派:浄蓮華院/天台宗延暦寺派(通称:深草毘沙門天) このページの索引へ
- 住所:伏見区深草鞍ケ谷1(仁明天皇陵の東)
- 特記:文政4年(1821)有栖川宮韻仁親王の命で、堯覚(比叡山)が創建。万延元年(1860)堯覚(堯覚の弟子)が「桓武天皇陵とされていた境内後方の谷口古墳」の傍らに御影堂を建て、桓武天皇の菩提を弔った。本堂には、本尊阿弥陀如来の他、毘沙門天を祀る。
- 白雲神社(しらくもじんじゃ)
- 正式名称・宗派:(−−−−)白雲神社 このページの索引へ
- 住所:京都御苑内(出水口に近い)
- 特記:宗像三女神の一つ「市杵島姫命」(妙音弁財天とも)を祀る。元仁元年(1224)西園寺公経が北山殿造営の際に建立した妙音堂(西園寺家の鎮守社)が始まり。西園寺邸の移転に伴い移転を続け、現在の地に至った。東京遷都に伴い廃祀されかけたが、有志により存続し現名に変えた。音楽の神として信仰される。
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| 御苑内に佇む「鳥居」 |
「本殿」 |
- 真覚寺(しんかくじ)
- 正式名称・宗派:真覚寺/浄土真宗本願寺派 このページの索引へ
- 住所:東山区東大路松原上ル星野町89(日體寺の北隣)
- 特記:永正8年(1511)祐妙が(東山区)西海子町あたりに草堂(天台宗)を結んだのに始まる。寛永7年(1630)真覚寺となり、大正元年(1912)現在の地へ移転。
- 心光寺(しんこうじ)
- 正式名称・宗派:法定山心光寺/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:左京区新麸屋町通三条上ル(京阪「三条京阪」駅から北へ)
- 特記:(一説には)平安中期安倍晴明が鴨川の水害防止を願って建立した法城寺(真言宗)に始まり、寺内にあるのは「晴明塚」とか。後に、浄土宗へ、寺領も現在の地へ移転。
(一説には)近世初頭、寿林が五条河原に開創、その後現在の地へ移転。
創建・経緯とも不詳。
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| 新麩屋町通に面して「山門」が建つ |
「山門」から「本堂」が見える |
- 真宗院(しんじゅういん)
- 正式名称・宗派:根本山真宗院/浄土宗西山深草派 このページの索引へ
- 住所:伏見区深草真宗院山町26(深草北陵から東へ)
- 特記:宝治2年(1248)後深草天皇の帰依を得た円空立信が(現在の)深草北陵の南に創建。後深草・伏見・後伏見もこの寺の法華堂に埋葬された。応仁の乱で荒廃された後、延宝4年(1676)雑賀家の支援を得て再興、従来の所から少し北の方へ移設されたか(以上、京都市の掲載と若干異なる)。
その法華堂が「深草北陵」に治定されたようなのですが、詳細は不詳。
- 瑞雲院(ずいうんいん)
- 正式名称・宗派:佛迎山瑞雲院/浄土宗 このページの索引へ
- 住所:上京区千本通上立売上ル(石像寺の真向い)
- 特記:文禄3年(1594)教誉が創建、慶長2年(1597)現称になる。本尊は児如来(ちごにょらい)と通称される。像が有髪のため「発毛祈願」の信仰を集める。
- 瑞光院(ずいこういん)
- 正式名称・宗派:紫雲山瑞光院/臨済宗大徳寺派 このページの索引へ
- 住所:山科区安朱堂ノ後町(JR「山科」駅から真北へ徒歩15分)
- 特記:慶長16年(1611)浅野長政が没して、堀川今宮にあった別荘地は寺院「瑞光院」となり、浅野内匠頭が檀家になった。その縁でこの地には赤穂義士四十六士遺髪塔が建てられた。寺は昭和37年(1962)現在の地へ移転。
- 瑞泉寺(ずいせんじ)
- 正式名称・宗派:慈舟山瑞泉寺/浄土宗西山禅林寺派 このページの索引へ
- 住所:中京区木屋町通三条下ル(四つ角を下がってすぐ)
- 特記:慶長16年(1611)角倉了以が豊臣秀次の菩提を弔うために創建(この地は秀次一族が処刑された場所)。開山は立空桂叔。
- 公式サイト:瑞泉寺
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| 木屋町通に面する「山門」 |
処刑にあたって引導を渡した地蔵を祀る「地蔵殿」 |
「豊臣秀次の墓」 |
- 朱雀御坊(すざくごぼう)
- 正式名称・宗派:朱雀御坊/浄土真宗東本願寺派 このページの索引へ
- 住所:下京区朱雀裏畑町(松尾大社朱雀御旅所の南隣)
- 特記:本願寺三世覚如に帰依した定和が、覚如没後、その遺骨の一部を自邸に埋葬したと伝わる地。いつ寺になったかは不詳。天保年間(1830-)寺の石碑が発掘された。寺号のわりには不明点が多い。
- 誓祐寺(せいゆうじ)
- 正式名称・宗派:苅萱山誓祐寺/浄土宗(通称:苅萱堂(かやんどう)) このページの索引へ
- 住所:南区上鳥羽鍋ケ淵町30(バス停「岩ノ本町」から近い)
- 特記:建暦年間(1211)苅萓道心(謡曲「苅萓」)の開創。本尊は阿弥陀如来、脇に「地蔵小石仏」(苅萓道心の念持仏)が安置される。門前に苅萓道心旧跡の石標が建つ。
- 青龍寺(せいりゅうじ)
- 正式名称・宗派:見性山青龍寺/浄土宗鎮西派(通称:伽羅観(きゃらかん)さん) このページの索引へ
- 住所:東山区南町411(祇園下河原通)
- 特記:延暦8年(789)乙訓郡小塩山に創建された大宝寺に始まり、平安遷都で移転した。法然の弟子・見性が再興・念仏道場とし、安楽・住蓮らと共に六時礼讃を修した。寛永年間(1624-)霊厳(知恩院)が三興し、現称に改めた。本尊「聖観音像」は唐の徳宗皇帝より桓武天皇に貢がれた香木伽羅の彫刻によるところから伽羅観と呼ばれる。洛陽三十三所観音霊場の一つ。
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| 石標には「法然上人御遺跡」・「六時禮讃根源之地」とある |
- 清涼院(せいりょういん)
- 正式名称・宗派:至心山清涼院/浄土宗知恩院派(尼寺) このページの索引へ
- 住所:伏見区深草大亀谷五郎太町31(桓武天皇陵にそこそこ近い)
- 特記:徳川家康は側室「お亀の方」の草庵(伏見城の一画にあったと思われる)に「福寿庵」を創始した。寛文2年(1662)萬福寺の清涼観了が黄檗宗の隠居所「清涼庵」とした。安永7年(1778)浄土宗の尼寺「清涼院」に改められた。本堂には「五郎太丸」(後の徳川義直)「お亀の方」の画像が安置されている。
- 摂取院(せっしゅいん)
- 正式名称・宗派:龍女山摂取院/浄土宗(通称:蛇寺) このページの索引へ
- 住所:左京区大原大長瀬町369(バス停「大長瀬町」から東へ歩く)
- 特記:正暦2年(991)浄住が創建。天正2年(1574)浄土宗の近誉幽道が中興。浄住に「蛇に関する伝承」があり「蛇寺」と呼ばれた。
- 善願寺(ぜんがんじ)
- 正式名称・宗派:誓弘山善願寺/天台宗(通称:腹帯地蔵) このページの索引へ
- 住所:伏見区醍醐南里町33(バス停「醍醐和泉町」から近い、旧奈良街道に面している)
- 特記:寺伝によれば、天平年間(729-)行基が地蔵菩薩を造立、長保年間(999-)源信が堂宇を建立して「善願寺」とした。本尊の地蔵菩薩坐像(重文)は「腹帯地蔵」と称して、安産祈願の信仰を集めている。
- 禅華院(ぜんけいん)
- 正式名称・宗派:解脱山禅華院/臨済宗大徳寺派 このページの索引へ
- 住所:左京区修学院烏丸町20(修学院離宮の南西隣)
- 特記:創建不詳、かつて天台宗であり、比叡山三千坊の一つだったという。寛永年間(1624-)大徳寺第170世・清厳宗謂により中興された。平安末期〜鎌倉期の石仏が多く置かれている。庭園は小堀遠州作と言われ、最近人気が上がっている(事前予約必要)。
- 千光寺(せんこうじ)
- 正式名称・宗派:嵐山大悲閣千光寺/黄檗宗(通称:大悲閣) このページの索引へ
- 住所:西京区嵐山中尾下町62(渡月橋から北へ徒歩1km)
- 特記:前身は嵯峨中院にあった後嵯峨天皇の祈願所千光寺。慶長19年(1614)角倉了以が保津川工事の犠牲者の霊を弔うために現在の地へ移し、念持仏の千手観音を大悲閣に祀り、この千光寺で亡くなった。中興開山は二尊院の道空了椿。文化5年(1808)復興して、黄檗宗に。
- 公式サイト:大悲閣千光寺
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| 保津川岸から登り始める「参道」 |
参道を登り切って「山門」を潜れば「千光寺」 |
「角倉了以」の像が保津川を見守っている |
- 専修寺京都別院(せんしゅうじきょうとべついん)
- 正式名称・宗派:専修寺京都別院/真宗高田派 このページの索引へ
- 住所:右京区鳴滝音戸山町11(「宇多野ユースホステル」の北側)
- 特記:真宗高田派本山専修寺(津市)の別院。天文年間(1532-)高田派十一世応真が親鸞の居住地を追慕して「一条柳原」に建立した「柳原坊」に始まる。慶長10年(1605)間之町押小路で再建(高田坊)、元和3年(1617)河原町二条に移転、明治15年(1882)「専修寺別院」と改称。昭和36年(1961)現在の地へ。
- 公式サイト:真宗高田派本山専修寺京都別院
- 専定寺(せんじょうじ)
- 正式名称・宗派:熊谷山専定寺/浄土宗西山禅林寺派(通称:烏寺) このページの索引へ
- 住所:東山区本町4丁目145(方広寺から西へ、正面通に面している)
- 特記:寛文6年(1666)浄西の開創。建永2年(1207)烏が「今日は熊谷蓮生坊が極楽往生する日だ」と話すのを「専定」(僧)が聞いた日に「熊谷蓮生坊が亡くなった」という故事により「烏寺」と呼ばれるようになったとか。
- 善正寺(ぜんしょうじ)
- 正式名称・宗派:妙恵山善正寺/日蓮宗 このページの索引へ
- 住所:左京区岡崎東福ノ川町9(黒谷の西隣)
- 特記:16世紀末、瑞龍院日秀が「子の豊臣秀次」の菩提を弔うため「嵯峨亀山」に創建。慶長5年(1600)現在の地へ移転。豊臣秀次公御墓所もあり、寺号は秀次の法号「善正寺殿前左相府厳道意尊儀」に因む。
- 善福寺(ぜんぷくじ)
- 正式名称・宗派:霞谷山善福寺/真宗大谷派 このページの索引へ
- 住所:伏見区深草瓦町6(現・嘉祥寺から東へ)
- 特記:慶長4年(1599)延正が嘉祥寺跡の「薬師堂」を買い取って再建。後に真宗に改め善福寺と号した。
- 選仏寺(せんぶつじ)
- 正式名称・宗派:大雄山選仏寺/臨済宗建長寺派 このページの索引へ
- 住所:上京区天神通仁和寺街道下ル
- 特記:洛西の原村にあった「念仏寺」(浄土宗)が前身。宝暦11年(1761)仏日((現在の土浦市にある)法雲寺30世)が念仏寺を譲り受け、改宗し、現在の地へ移転した。大きな寺領を持つ。
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| 「天神通」から見る「選仏寺」 |
- 宗仙寺(そうせんじ)
- 正式名称・宗派:小本山宗仙寺/曹洞宗 このページの索引へ
- 住所:下京区高倉通五条下ル(バス停「五条高倉」から南へ歩く)
- 特記:寛正6年(1465)豊後守多賀高忠が創建(太平山宗仙寺、六条河原院あたりとも、道元が創建とも)。天正7年(1579)天江が中興。慶長7年(1602)現在の地へ移転。京都では数少ない曹洞宗寺院。
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| 「山門」 |
「弁財天」と「荼枳尼天」を祀る |
曹洞宗らしい「中門」 |
- 宗徳寺(そうとくじ)
- 正式名称・宗派:福智山宗徳寺/西山浄土宗(通称:粟嶋堂、あわしまさん) このページの索引へ
- 住所:下京区塩小路通西堀川西入ル(JR京都駅から徒歩10分)
- 特記:応永年間(1394-)南慶が紀伊国から粟嶋明神を勧請して開創。慶長7年(1602)繁空が中興で現在の地へ移転。明治の神仏分離令で、粟島社を廃し粟島堂に。女性一生の守り神「あわしまさん」として今でも信仰を集めている。
- 公式サイト:粟嶋堂宗徳寺